名古屋シンフォニア管弦楽団
Nagoya Sinfonia Orchestra
曲目解説は、当時のプログラム掲載コラムをもとに再構成しています。
本文中には、執筆当時の見解や表現、現在では異なる見解がある事項も含まれます。
モーツァルト ピアノ協奏曲第21番
作曲家を巡る女性達 高萩 泉
マーラーとモーツァルト
少々興味本位の話になること、お許しいただきたい。
昔から気になっていたことなのだが、大作曲家には性生活に関わるトラブルが多いように思われるのだが、気の回しすぎだろうか。伝記には美化されたものが多いので、はっきり書いていないものもあるが、ちょっと考えただけでも、性病で死んだシューベルト、同性愛者だったチャイコフスキー、友人の妻との関係が取り沙汰されたヴァーグナー、17歳にして女中との間に子供をもうけた(いわゆる「隠し子」というやつだな)ベルク、といった名前が出てくる。
また逆に、娘さんがふざけて膝の上に乗っただけなのに「汚らわしい」と烈火のごとく怒ったブルックナーや、生涯、師の妻に思いを寄せながら、結局何もしなかったブラームスなんてのもいる。
他人の結婚のことをあれこれつついて、別にどうしようというわけではないのだが、結構スキャンダルというのは面白いのである。
モーツァルト(1756-1791)が下宿屋の娘コンスタンツェと結婚したのは1782年8月のことであるが、この結婚、最初からケチがついた。まず、モーツァルトの父親レオポルトは、この結婚には大反対である。
これに追い打ちをかけたのが、モーツァルト本人の女癖の悪さであった。
1784年、家賃が払えずにアパートを追い出されたモーツァルト夫婦は、友人で出版業者のトラットナーの家に転がり込んでいた。モーツァルトが家賃代わりにトラットナー夫人にピアノを教えたのがよくなかった。
「二人は道ならぬ関係に……」というわけである。
それでもモーツァルトはコンスタンツェにぞっこんで、「彼女の美しさと言えば小さな黒い目と気品ある様子にかぎる」などとのろけている。
それがどうした。
この浮気はすぐにばれ、モーツァルトはトラットナー家を追い出される羽目になるのだが、こんな時でも名曲が生まれるのだから、この男、一体何者なのだろう。
ピアノ協奏曲ハ長調 K.467(第21番)もこの前後に書かれた。1785年3月9日のこの曲の初演には、モーツァルトの結婚を許すつもりでウィーンに来ていた父のレオポルトも列席した。
レオポルトはこう書き残している。
「この曲は満場の喝采を得て、多くの人は涙が出るほど感激した。」
めでたし、めでたしである。
マーラー 交響曲第1番「巨人」
マーラー(1860-1911)の場合、彼自身が浮気をするということはなかったが、奥さんのアルマ(美人だ!)は、マーラーより随分年齢が若いこともあって、いろいろと噂がある。
指揮者でもあったマーラーは演奏旅行で家を空けることも多く、そんな時、アルマは若い男と長い時間を過ごしていたという。
1910年の夏、アルマは若い建築家のグロピウスと情事を持ったのだが、これが深まった。間もなくマーラーもこのことを知り、一時は夫婦の関係はかなり危機的な状況を迎えた。
マーラーが有名な精神科医フロイトの診察を受けたのは、この時のことである。
翌年、マーラーが世を去ることを考え合わせると、何やら恐ろしいことを考えてしまう。まさかとは思うが、もともと身体が丈夫でなかったマーラーにストレスをかけて、彼の死期を早めたんじゃないだろうか。
(まるで「なんとかワイド劇場」ですな。)
アルマは後に、マーラーとの結婚生活について回想録を残しているのだが、ほとんどがお涙頂戴の世界である。そして自分のこの不倫については一行も触れていないのである。
ちょっと恐ろしい話ではないか。
(もっとも、アルマの浮気の原因も、マーラーの奇行についていけなかったからだ、という話もある。)
第一交響曲が書かれたのは、まだマーラーが結婚前、そんな恐ろしい世界を知る前の1888年のことである。そのためか、この曲は随分と思い込みが激しく、芝居がかった、はっきり言えばワザとらしい交響曲であると言えなくもない。
実際のところ、マーラーの弟子の中でもこの曲については評価が分かれているようで、例えば、今世紀を代表する名指揮者のクレンペラーは、「一度やったことはあるが、終楽章についてはまったく感心できない」と言っている。
(余談だが、クレンペラーはマーラーと並んでブルックナーも得意としていた。彼があるインタビューで「マーラーとブルックナー、どちらが好きか」と聞かれた時のことである。しばらく考えてから彼はこう答えた。
「マーラーには就職を世話してもらったからなあ」
だからと言って、第一交響曲が駄作などと言うつもりはない。聴き手がこの曲を聴いてどう思おうと、私の知ったことではない。)