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第23回定期演奏会

1993年7月18日

名古屋市民会館大ホール

愛知県 名古屋市中区

ベートーヴェン 交響曲第7番
チャイコフスキー バレエ音楽「くるみ割り人形」より抜粋
ワーグナー 楽劇「ニュルンベルグのマイスタージンガー」 第1幕への前奏曲
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曲目解説は、当時のプログラム掲載コラムをもとに再構成しています。

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チャイコフスキー:バレエ音楽「くるみ割り人形」より抜粋
三題噺 音楽家・女・病気 高荻 泉


以前、あるところで「チャイコフスキー(1840-1893)はホモだ」と書いたら、読者の方からお叱りを受けた。「そんな筈はない、彼はちゃんと結婚している」というのである。なる程、確かに彼は結婚していたことがある。もっとも、すぐに人生嫌になって、川に飛び込んだのだが。その後、彼の周りに女性の噂は見られない。ハイネの著書(『大作曲家の死因を探る』音楽之友社)によれば晩年のチャイコフスキーはあちこちの若い男性に手を出していたという。どうです?大作曲家のイメージ壊れたでしょ。

総じて彼の作品が暗いのは、このような満たされぬ思いが反映されているせいかも知れぬ。ところで、暗い曲ばかり書いていたチャイコフスキーの晩年の作品の中で例外的に明るい作品がある。彼の死の前年、1892年に書かれた「胡桃割り人形」である。二幕のバレエとして書かれたこの作品、題材はホフマンの童話から採られている。まあ、子供向きの童話なのでお話自体たいしたことはない。

第一幕はクリスマス イヴ、少女マリーへのプレゼントは胡桃割り人形だった。ところが、やんちゃな兄弟がこれをひったくって壊してしまう。マリーは……

面倒臭いので後のあらすじは省く。要は、胡桃割り人形のピンチを助けたマリーが夢の国へ連れてってもらう、というだけのことである。この作品、よくこれだけ、たわいのない話に立派な音楽を付けたな、と思わせるほど充実している。きっとギャラの高い仕事だったのだろう。

ワーグナー:楽劇「ニュルンベルグのマイスタージンガー」 第1幕への前奏曲

チャイコフスキーと違ってワーグナー(1813-1883)は女性にまったく悩まなかったという。うらやましい限りである。きっと何もしなくても女性が寄ってくるタイプだったんだろうな。あやかりたいものだ。

もともと自分の弟子の指揮者、ハンス・フォン・ビューローの妻であったコジマ(作曲家リストの娘でもあるが)と不倫したあげく結婚してしまったのは有名な話である。このビューローという男、ワーグナーとコジマが二人きりで旅行に行ったりしているにもかかわらず二人の関係にまったく気付かなかった大うつけ者であった。そればかりか、週刊誌に二人のスキャンダル記事が載った時も、「コジマの夫」として、出版社に抗議文を送るといった念の入れようである。

ビューローはまたブラームスの第一交響曲を初演したことでも知られているが、彼はこの曲を指して、「これこそベートーヴェンの第十交響曲だ」などと訳の分からないことをいっている。創造力のかけらもないではないか。こんな陳腐なことしか言えないのだから、やはりニブイ男だったに違い無い。

さて、1868年に初演された「ニュルンベルクのマイスタージンガー」はワーグナーには珍しく喜劇仕立ての作品だが、男と女の関係を描いているという意味では、彼の他の作品と共通したテーマがあるといってよい。若い騎士ヴァルターと町の娘エファの恋愛を軸に、これを巡る大騒動が描かれるこの作品は初演から好評を博したという。ちなみに、初演を振った指揮者は前述のビューローであった。つくづくおめでたい男だ。

ワーグナーは若い頃、指揮者をしていたことがある。この時彼が一番惚れ込んでいたのがベートーヴェンの作品、特に交響曲であった。

ベートーヴェン:交響曲第7番

ベートーヴェンの第七交響曲について、ワーグナーは「この曲こそ舞踏の神化である」と言っている。「ベートーヴェンの第十」なんて台詞よりよっぽど高尚に聞こえるではないか。さすがに天才は言うことが違う。

それにしても、これ、どういう意味なんだろ? 考えても仕方ないので先に進もう。

順調に創作活動を続けてきたベートーヴェンが自信作の第五第六の交響曲を世に出したのは1808年のことであった。しかし、評判は芳しくない。ライヒャルトはこう言っている。「まず第一に、田園交響曲……五楽章!」

最後の「!」が意味深ですな。

四年後、失敗にめげず、巨匠は再び七番目の交響曲を世に出した。「ベートーヴェンの第七は異常なうけかたをした。その素晴らしい第二楽章はアンコール攻めだった」と初演の様子を作曲家のシュポアは伝えている。もっとも「ベートーヴェンの指揮姿は不安定でよく笑いそうになることがあった」とつけ加えることも忘れていない。

大衆には大うけしたこの曲、批評家には今一つであった。

この曲を聞いて「ベートーヴェンは精神病院に入る必要がある」と言ったのは作曲家のウェーバー。クララ・シューマンの父、フリードリヒ・ヴィークは「この曲は酔っぱらって書かれたに違いない」とぼやいている。

実際に精神病院に入院したのは娘婿のロベルト・シューマンだったが。

チラシ表
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