名古屋シンフォニア管弦楽団
Nagoya Sinfonia Orchestra
曲目解説は、当時のプ ログラム掲載コラムをもとに再構成しています。
シューベルト:交響曲第8番「未完成」
ロマン派の詩人と野人……シューベルトとブルックナー 高荻 泉
シューベルト(1797-1828)の「未完成交響曲」はどうして未完成なのか。
音楽史の大きな謎の一つであるが、いまだにはっきりしたことは分かっていない。今は亡き林家三平がこんなことを言っていた。「新しい交響曲を書いていたシューベルト。始めは調子が良かったのだが、なぜか第三楽章になったところで行き詰まってしまった。イライラした彼はやおら手近のミカンを(なんでヨーロッパにミカンがあるの」なんてオレに聞くなよ)ピアノに投げ付けた。ミカンの汁がぱっと飛び散る……。ミカン水なんて」
この話でウケが取れなければ、顔に手を当て、「どーもすいません」と言えばよろしい。
古い話はさておき、シューベルトをテーマに作られた戦前の映画「未完成交響楽」(コラコラ、もっと古いじゃないか)では、この曲は、シューベルトが自分のホレた貴族の娘の為に作曲したことになっている。ところが、身分の違いからその娘に馬鹿にされてフラれてしまい、結局、交響曲も書けなくなってしまうというメロドラマが展開される。「我が恋の終わらざるが如く、この曲もまた終わらざる」なんて、観ているこっちが恥ずかしい。
美しい歌曲を何百を作り、天才の名をほしいままにしたシューベルトだが、彼の私生活は随分と荒れていたようである。早死にしたせいか、彼のイメージにはどこか崇高なものがつきまとうのだが、実際は、彼は身なりも生活もだらしなく、女性に相手にされないため、彼は夜になると悪友と共に売春宿に出入りしていたという。統計によれば19世紀初めのウィーンには約一万人の売春婦がいたとされる。若い男性がそうした所に出入りしたとしても奇異なことではない。
そして、1822年の暮れ、彼は重い病気に感染した。医学者のノイマイヤーによれば梅毒である。これが事実だとすれば、つじつまは合う。シューベルトが「未完成交響曲」に着手したのは、1822年の10月30日だったからである。翌1823年の初めには、外出ができないほどにシューベルトの症状は悪化していた。単純に考えれば「未完成」が未完成であるのは、病気が重くて続きが書けない状態であったからと推測できなくもない。よく言われるように「どのようなスケルツォやフィナーレをつけても、かえって無用の長物になることを天才の直観によって知ったのではないか」(辻 荘一)という訳ではなさそうである。なるほどアシモフが言うように、しばしば**、事実は**小説よりも退屈なのである。
その後「未完成」は伝説になった。1823年の4月グラーツの音楽協会がシューベルトを名誉会員に推挙した。彼は返札に、「未完成」の出来上がっていた二つの楽章を送った。その時点では、彼は続きを書くつもりだったのかも知れない。しかし、続きは書かれないまま、彼の死後、楽譜の存在は忘れ去られてしまう。この曲の再発見はシューベルトの死後30年以上も経ってからである。1865年、「未完成交響曲」の初演は人々が大きい衝撃を与えたという。
シューベルトが自己の技法の最後の課題にしたのは、対位法と和声学であったという。旋律の美しさには大分の才能を持っていたシューベルトだが、それを発展させ全体を構築する作業が不得手であることを自覚していたらしい。死の直前の数か月、音楽理論家のゼヒター(1788-1867)にレッスンを受けていたのはこのためである。モノにはならなかったのだが。
ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」
興味深い偶然の一致だが、ブルックナー(1824-1896)も若い頃、ゼヒターに師事していたことがある。彼の場合は自身が後にゼヒターの後任として、ウィーン音楽院の教授に任命されることになる。長生きはしておくものだ。
女遊びについつをぬかしたシューベルトと違って、ブルックナーは女性嫌いというわけではないのに、女性には縁遠い生活をおくっていた。残された資料を見る限り、彼が生涯童貞だったというのもありそうな話である。コリン・ウィルソンはおもしろいことを言っている。「彼は不思議なほど不幸な男で、いわばチャーリー・チャップリン的人間であったことが分かる。大工が梯子の上から落とすペンキ缶がきまってこう言う男にふりかかるのだ」なるほどね。
彼は心配性がこうじてノイローゼになり、しばらく入院していたこともあるのだが、その後遺症がまた彼の人生に暗い影を落としている。例えば、河原の石の数を何気なく数え出して止まらなくなってしまったり、思い込みが激しいあまり、初めて会った十代の娘に結婚を申し込んだり(単なるロリコンではないか)とその行動にやや常軌を逸した所があったのは事実である。
そのせいか、彼は自作品についても、一口改作を始めると果てしなく改訂をやり続ける傾向があった。第四交響曲も、初稿は1874年に完成したが、1878年には第三楽章がまったく別の曲に取り替えられ(第二稿)、1880年には終楽章が原形をとどめぬほどに書き直された(第三稿)。これでほぼ現在の形に近くなったのだが、1889年にもまだ管弦楽に手を入れている(第四稿)。この時点で彼は第八交響曲まで完成していたのである。
最近、初稿による演奏もCDなどで聞くことができるようになったが、確かに我々の知っている「ロマンティック交響曲」とは似ても似つかぬ音楽である。しかし、どの稿で聞こうが、(はっきり言ってブルックナーのどの交響曲を聞こうが)ブルックナーの特徴ははっきり聞きとることができよう。前述のウィルソンの言葉を借りれば彼の曲は「氷河のようにのろのろと違い進む、ばかでかい獲物」なのである。それを独自の交響的世界を創造した天才の神技を絶賛するか、聞き手に忍耐と苦痛を強いる悪魔の所業と罵るか、それは聞き手にまかされた贅沢な選択である。
え?
お前はどっちかって?
教えない。