名古屋シンフォニア管弦楽団
Nagoya Sinfonia Orchestra
ベルリオーズ 「ローマの謝肉祭」序曲
ベルリオーズは、金管楽器の拡充によって管弦楽に新たな力、資源、色彩を提示し、古典的な和声の原理から離れ、それまで禁じられていたコード進行や全く新しい旋律の領域を開拓しイデー・フィクスの使用による標題音楽の手法を試みリストの交響詩、ワーグナーの楽劇への道をひらいた、フランス最初のロマン派音楽の提唱者でした。彼は音楽に自己表現の衝動や古典派の秩序と抑制の理想に対抗して怪奇なる物を求めるといったロマン主義の概念を極めて明確に示しました。ところがそれがあまりにも正統性から離れている為、少数の人たちを除いて、一般の保守的な聴衆には吸収できませんでした。序曲「ローマの謝肉祭」は、本来成功しなかった歌劇「ベンヴェヌート・チェッリーニ」作品23の第2幕の前奏曲として計画されましたが、内容が第1幕のおわりに出てくるイタリアの活発なサルタレロ舞曲を中心にくりひろげられる華やかな性格が強かったため、後に独立曲として出版され歌劇の上演とは切りはなされ単独に演奏会用の音楽として広く大衆に普及するようになりました。この曲からも、彼が素晴らしい旋律を生み出せる異常な才能と、感受性の強い想像力と、色彩に対する比類なき耳の持ち主だったことがうかがえると思います。まともに楽器1つも弾きこなせない元医学生であったベルリオーズが当時まで想像もされなかった規模の音の組み合わせをつくれる耳をもっていたことは、極めて天才的なことと思います。
ハイドン トランペット協奏曲
ウィーン古典派音楽における最も重要な作曲家ハイドンは、町の音楽士等を経た後、次々と貴族の城に召し抱えられ、一生のほとんどを貴族の城の楽長として送りました。彼の音楽は、決して既成秩序に挑戦することはありませんでした。宗教的で大胆で知的で冒険的であったとはいえいずれも度を過ごさず、感情や苦しみ、願望などを大げさにひけらかすこともなく、また情緒的にもつれたところも複雑なところもない率直で明快な音楽を数多く残しました。トランペット協奏曲は当時、半音階が演奏できなかったトランペットに音階を補充する4〜6個の音穴をもった有鍵トランペットを考案したウィーンの宮廷トランペット奏者アントン・ヴァイディンガーのために1796年に作曲されました。曲は、ソナタの原理が生かされ驚くほど豊かな和声の織りなす、純粋な喜びのみなぎる躍動感ある音楽に仕上がっておりトランペット奏者にとって第1に演奏される協奏曲の傑作として知られています。ハイドンが1780年頃から死に至るまでの間に作曲した交響曲、四重奏曲、ミサ、オラトリオなどで、傑作と呼ばれない作品は、ほとんど1つもなく、彼の多産性には息がとまるほどですが、この作品もその1つで、例外ではありません。
シューベルト 交響曲第9番 「グレート」
31才の若さで死んだシューベルトは、その生涯に恐ろしく多くの作品を書きました。彼は、作品を頭の中だけで作り上げ、それを直ちに楽譜にしうる稀有の天才だったのです。ところが、彼の在世中に出版された重要作品は極めて少数で、交響曲は1つも印刷されず弦楽四重奏曲は19曲のうち1つだけ、ピアノ・ソナタは21曲中3曲、ミサは7曲中1曲、600以上の歌曲のうち187曲だけが出版され歌劇は1つも出版されませんでした。彼は内気で引っ込み思案な性格のためか人生に多くを求めず、作品がいつ演奏されるかなどには執着がなく、友人にも「このままでいいんだ。僕は作曲するためだけに生まれたんだから」と語ったほどでした。また、死の前年の傑作、歌曲集「冬の旅」の最終曲に「辻音楽師」という曲があるのですがその内容は、辻音楽師が強風の日に手回しオルガンを弾くのですが金を恵む者はもちろん、曲に耳を傾ける者、注意を払う者すら誰もなく、吠える犬に追いかけられても、彼は微笑を忘れず、落胆の色を示さないといった内容が孤独な絶望の色濃くにじみでた音楽で表現されており、シューベルトにとって自伝的な意義を感じずにはいません。さて交響曲第9番ハ長調は、作曲者の死後10年目にシューマンが自筆譜を発見し、それを、親交のあったメンデルスゾーンに初演するようすすめ、1839年にライプツィヒゲバンドハウス管弦楽団によっていくらか省略短縮して初演されました。この初演は成功だったのですが、どういうわけか他の都市の管弦楽団からはこの曲は当時かなり敬遠されました。あまりに長大で、しかもくどいということと難しいということで、楽員から拒否されたのです。ヴァイオリンがやたらに忙しかったと思うとチェロなどの低弦が何小節も、ときには100小節以上も同じ音型を奏していなければならず、管の人たちも休みが多かったりするということで楽員が演奏のやり甲斐を感じなかったようです。それらに反しシューマンは、「この曲がドイツで完全に理解されるには、おそらく数年が必要でしょうが、見過ごされたり、忘れられることはないと思います。この曲の核心には若さがあるからです。」と主張しましたが、その言葉は正しく、曲からにじみ出る情熱と抒情性は、その後多くの人々を感動させることになりました。第1楽章アンダンテ・アレグロ・マ・ノン・トロッポ。序奏のホルンの動機の進行が、この楽章のいたるところで使用され、結尾では、序奏が大きく回想されます。第2楽章アンダンテ・コン・モト。2つの主題をもつ自由なロンドと考えられ少し凝った構成をとっています。第3楽章アレグロ・ヴィヴァーチェのスケルツォは、規模が拡大されており、ソナタ形式に近いものを第1部、第3部として、中間のアレグロをはさむ形をとっています。おそらくベートーヴェンの第9交響曲のスケルツォからの影響なのでしょう。第4楽章アレグロヴィヴァーチェのフィナーレは、ソナタ形式に従って書かれています。なおシューベルトはこの曲を作曲して間もなく腸チフスで亡くなったため、生前にこの交響曲を聞くことができませんでした。シューベルトは、絶妙な抒情性と素直な音楽性とで珠玉の歌曲を数多く残しましたが、構成的な作品では、作品のスケールが、大きくなればなるほど、構造上の弱点を露呈した観があり、そのためか、現在、彼の交響曲では、第8番とされているロ短調「未完成」とこの第9番ハ長調以外は演奏会であまり演奏される機会に恵まれていません。
シューベルトの「第9交響曲」は何なのか 高荻 泉
フランツ・シューベルト(1797–1828)は、ある意味でとっても不幸である。1000曲にも及ぶ作品を書きながらも、その生存中にほとんど認められなかったとか、病弱で早死してしまったとかだけではない。
シューベルトの伝記作家があまりに彼の生涯を美化してしまったことが、彼の実像をかなり誤解した形で世間に広めてしまったのではないか、ということである。
戦前の映画だが《古い話で恐縮》「未完成交響楽」を見てみよう。もちろん、フィクションなのだが、思いを寄せていた貴族の娘に笑われてしまったシューベルトが、その悔しさから新作の交響曲の筆が進まなくなってしまうという青臭い筋立てなんぞ、いかにも「病弱で薄幸の天才」シューベルトにふさわしいじゃないか。
考えようによっては頭の二つの楽章だけ書いて、後を放り出すなんて無責任きわまりないけどな。(怒ってもしょうがないけど)
実はシューベルトはだらしのない奴だった。
ヒュッテンブレンナーは、こんな回想をしている。
「女性にとっては、面白味のない人物でしたし、優しい所など少しもありませんでした。服装には無頓着で歯はタバコでひどくにおっておりました」(これではもてない。)
しかし、背が低くて容姿に恵まれなかったにしても、若い普通の男性である。女遊びをするなといってもこれは無理。19世紀初頭のウィーンは、ヨーロッパでも指折りの国際都市であった。記録によれば1万人の売春婦が生計を立てていたとある。若い男に「行くな」といってもねえ。
こうしてシューベルトは梅毒にかかった。1822年頃のことである。このころからしばしば、彼の言動におかしな点が見られるようになる。渡邊學而によれば、彼はたびたび会合をすっぽかすようになり、ひどい時には友人を家に招待しながら自分がどこかに行ってしまっていることもあったという。梅毒の症状として気分の変化が激しくなることを指摘する医学者は多い。まぁ、そんな状態で「未完成」の続きを書けといったって無理だろうな。
おかげで(といってよいかどうか知らぬが)よくわからなくなってしまったことがある。それは、彼が一体何曲の交響曲を書いたのかということだ。
通常「グレート」と呼ばれることの多いハ長調の交響曲、これが「第9番」として紹介されることが多いためか、「シューベルトの交響曲は9曲である」と考える方もおられよう。
確かに、第1番から第6番までは問題なく並ぶ。「未完成」は第8番である。じゃあ、第7番はどこにいったのだ?
かつては、この「グレート」を第7番に数えようとする動きもあったのだが、近年、シューベルトの遺稿の中に、未完成のままスケッチや断片だけに終わった交響曲が数多く発見されるようになって事態はややこしくなった。
どうやらシューベルトの着手した交響曲は実に13曲に上るらしい。うち四つの楽章がそろって完成したものが7曲、完成できなかったものが(『未完成』を含め)6曲である。特に、1818年に第6番を書き上げた後完成できたのは「グレート」一曲だけである。しょうもない。
1978年、シューベルトの新しい作品目録がオットー・ドイッチュによって作成された。彼は、『未完成』を完成した曲とみなして、演奏可能な交響曲のみ作曲年代順に番号をふった。それによるとこうなる。(1〜6までは従来通り)
・交響曲 第7番 ロ短調 D.759 「未完成」
・交響曲 第8番 ハ長調 D.944 (「グレート」)
なんだか慣れ親しんだ番号と全然違ってしまったじゃないか。
もう一つ、「グレート」にまつわる謎である。
この「グレート」という通称、誰が、いつつけたのだろう。
シューベルトにはもう一曲調性の同じハ長調の交響曲があって(第6番)、これと区別するため「大きな」ハ長調の交響曲と呼んだというのは十分ありそうな話である。
あるいは又、ローベルト・シューマンがこの曲を評して「この曲の神々しいまでの長さ、これは、ジャン・パウルの長編小説のように終わることを知らない」と言ったことに由来するのか。
後者の方が、お話としてはしゃれている。でも案外つまらない理由なのだろうな。