名古屋シンフォニア管弦楽団
Nagoya Sinfonia Orchestra
指揮 大河内 雅彦
愛知県幸田町出身。愛知県立岡崎高等学校を経て、東京芸術大学器楽科卒業。大学在学中より指揮法を小松一彦氏に師事するかたわら、学内において学生有志によるオーケストラをたびたび指揮し、好評を得る。
1992年、東京芸術大学・東京音楽大学・武蔵野音楽大学・桐朋学園大学の学生有志からなる東京ユーゲントオーケストラを結成。
1993年ウィーン夏期音楽セミナーにおいて、カール・エステルライヒャー、湯浅勇治の各氏に師事。また1995年ウィーンマイスタークルスにおいて、ハンス・グラーフ氏に師事。同コース選抜者による修了コンサートに出演(於ウィーン音楽院大ホール)。このほか、日本での19回にわたる「湯浅勇治氏による指揮セミナー」に参加し、氏より指導を受ける。
1996年から97年まで山形大学非常勤講師。1997年、群馬県太田市で、太田市長の依頼により太田プロアルテオーケストラを結成。市内30の小・中学校で、オーケストラが出張演奏する「ふれあい音楽鑑賞会」を実施。企画、運営、司会者、指揮者を務める。また7回の特別演奏会に出演。
1998年より、慶應義塾ワグネルソサエティーオーケストラ副指揮者、墨田区交響楽団指揮者を務める。東京都及び愛知県を中心に、アマチュア音楽団体とも積極的に活動している。
2000年春には群馬ジュニアオーケストラを率いてニューヨーク・カーネギーホールにて演奏会を行い好評を博す。現在、十束尚宏氏のアシスタントを務める。尚美学園大学非常勤講師(オーケストラ指揮)、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団に指揮研究員に就任。東京指揮研究会会員。
名古屋シンフォニア管弦楽団について
名古屋シンフォニア管弦楽団は1982年(昭和57年)4月に名古屋市及び周辺のアマチュア演奏家により結成されました。
年を重ねることにより愛知県外からの転勤者なども加わり、現在では様々な都道府県および大学・学校の出身者からなり、また様々な職業を持つ者同士(会社員・自営業・公務員・主婦・学生など、業種も製造業からサービス業、エンジニアや薬剤師、医師、教員、金融・保険関係など多岐にわたる楽しいメンバー)が集まって、約95名規模の技術面でも運営面でも充実したオーケストラに成長し、名古屋市内はもとより愛知県内においても1・2を争う団体に成長いたしました。
年間を通じて2回(1月・2月と7月・8月)の定期演奏会を活動の主たる目標として、(現在までに41回の定期演奏会を開催)週に一度の日曜日を合同の練習の日とし活動を続けております。
最近では演奏会に来ていただいたお客様より、その演奏内容や(招へいするゲストも含め)演奏曲目など大変高い評価をたくさんいただくようになりました。また演奏会には、名古屋市内のボランティア組織の方々にご招待状を送り、視覚に障害のある方々にも気軽に楽しんでいただけるよう努力しており、毎演奏会ごとお礼のお手紙等をいただいています。
その他、過去には、東海JC主催による依頼公演や、公共施設主催の親と子のファミリーコンサート、中国公演、ユネスコ主催のチャリティ東京公演などにも出演し、その都度好評を博しております。
今後とも、魅力ある指揮者・ソリストを積極的に招き、演奏会として我々はもちろんのことお客様に対しても喜んでいただける演奏会を企画する事ができるよう心掛けて行きたいと思っています。
ウェーバー 「オベロン」序曲
—— 天上の座談会 ——
私たちの演奏会を見守るベートーヴェン(以後Be)、ブラームス(Br)、ウェーバー(W)の御三方が、居酒屋でこんな会話を…?
〜〜 一回聴けば印象に残る曲… 〜〜
Be:なんやらエライ気合いの入ったプログラムをやるらしいやないかい。
W:そうですねぇ。我々の3曲を演奏してくれるなんて…
Br:んー、でも、ウェーバーさんの曲は無くても十分なプログラムかもしれへんなぁ。
W:な、なんてことを!! こ、この演奏会のオープニングにふさわしい、わ、私の最後の方作に…
Be:まぁまぁ、それはとも角として…おい、ウェーバー、この「オベロン」っちゅうのはどんなオペラやねん?
W:それはですねぇ、妖精の王オベロンが妃のティタニアとちょっとケンカしましてねぇ、いろいろドタバタのあった後に結局仲直りするっちゅう話ですわ。あまりに簡単に話しすぎましたけど、なんせ、私ドイツ人やのに、このオペラの依頼者は英語で作ってくれて言われちゃいまして困りましたわ〜。
Be:ホンマ話が簡単すぎるのう… ま、オペラのストーリーってそんなもんやろけど。まぁええわ、で、結局のところ、今はこの「序曲」ばかり演奏されてっとて、オペラは全然上演されてへんのちゃうか?
W:あーーーーっ! それを言わないでぇ… そんなん、ベートーヴェンさんもオペラそっちのけで「レオノーレ」序曲を何回も書き直してるやないですかぁ!
Be:4回や。最後は「フィデリオ」にタイトル変えたけど… 余計なこと言わすな! うぃ〜〜("Be"氏、ほろ酔い加減)
Br:ん〜、オペラを書かなくてよかった… あぁ、そんな手酌で("Br"氏、あわてて瓶を持とうと…)。
Be:ま、冒頭の優雅なホルンの旋律といい、この序曲は一回聴いただけで印象に残るなかなかええ作品やのう。ただ、曲の場面転換を一発"ジャン!!"で片付けてしまうのはちょっと安直とちゃうか?
W:当時、私は病苦の中、必死に書いてましたからねぇ、そんな余裕なんかありませんわぁ。実際、イギリスで初演を行った二ヶ月後に亡くなってしまいましたし…
Be:おお、そういえば、ワシのこの交響曲第2番も、作曲 we 当時は耳の病に悩まされて"遺書"まで書いとったからなぁ。
W:その割にはエライ明るい曲ですねぇ。
Be:やかましいわい!(ボコッ!) おーい、もう2本!!
W:痛〜い… そんな、瓶でドツかなくても…(涙)
Br:ん〜、お二方ともなかなか大変だったようですねぇ。あぁ、また手酌で…
ベートーヴェン 交響曲第2番
〜〜 ベートーヴェンらしくない? 〜〜
Be:この交響曲は、後の作品に多大なる影響を残した記念すべき作品なんや。中でも特筆すべきは、第3楽章をこれまで「メヌエット」が主体であったところを「スケルツォ」にしたこと!
Br:ん〜、確かにこの曲の第3楽章は非常にシンプルで、贅肉をそぎ落とした、まさしく「スケルツォ」の原点ですなぁ。
Be:そやろそやろ。あんなシンプルなスケルツォ、他にないでぇ。うぃ〜
W:でも、第4楽章の冒頭はモーツァルトさんの交響曲第35番「ハフナー」を利用したらしいやないですか。
Be:うっっっ、そこをつかれると痛い… おまえ、ちょっと酒足りひんのとちゃうか?
Br:ん〜、でもベートーヴェンさんの他の交響曲と比べると、あまり"ベートーヴェンらしさ"を感じさせない、なかなか華やかな音楽ですねぇ。曲の最後で突然"本性"が出てますけど("Br"氏、冷静…)。
Be:ブラームスはんもなかなか乙なことを言いまんナ。そういえば、アンタの交響曲第2番はエライ早く曲を書き上げよったらしいやないかい。お〜い、もう3本!!!
ブラームス 交響曲第2番
〜〜 ストラヴィンスキーに頼んだら… 〜〜
Br:ん〜、まぁ、第1番は気合いの入れすぎで完成まで20年以上もかかってしもたもんですからねぇ、そのあまりのいかつさから脱却しようと数ヶ月で仕上げたんですよ。あぁ、手酌で…
W:やっぱり、あの南オーストリアの避暑地で作曲したのがよかったんですかいな?
Br:ん〜、あそこはエエところですね。もう、音楽があふれ出てきますねぇ。
W:でも、よ〜聴いてみるとなんやら拍子がハッキリしませんねぇ。ところどころ変拍子みたいなところがあって、おやっ?と思ってしまうんですわ。あ…す、すんません("Be"氏が瓶を持って待ち構え、"W"氏あわててコップを取る)。
Be:第4楽章なんかやと、5/4拍子やら3/4拍子のような音楽を頑固に2/2拍子の楽譜の中に書きよるから、演奏する方も大変やで。ストラヴィンスキーに頼んでみい。アイツやとあっさり変拍子に書き直しよるで。ウップッ…("Be"氏、ちょっと飲み過ぎの気配)
Br:ん〜、あの部分は、ちょっと腹の調子が悪くて、トイレに駆け込みたい気分の中で書いていたんですわ。あぁ、そんな手酌で…("Be"氏、コップから溢れさす)
W:("Be"氏の行動を横目で見て)…で、その後はスッキリしたんですかいな?
Br:ん〜、そりゃもう!
Be:確かにそんな音楽になっとるわなぁ… ま、冒頭に低弦の奏でる"3つの音"が何回も現れて曲全体の統一を図っているところなんか見てると、アンタの交響曲の中では、なかなか一番しっかりした作りになってるんじゃないか? おーい、もう1本…くらいにしとこなぁ…
〜〜 マーラーの「第5」は盗作? 〜〜
Br:ん〜、でもやっぱり軽すぎたかなぁと思いましてねぇ、その後に、いかついけど流暢なメロディをつけた第3番を書いてみたんですわ。ま、最終的には「シンプルが一番や」と古風なスタイルの第4番に行き着いたんですけどねぇ。
W:あ、そやそや、この交響曲第2番の第4楽章の作風、マーラーちゃんが自分の交響曲第5番の第5楽章にちょっと引用してますねぇ。あ…す、すんません!
("Be"氏がなかなかコップを空けない"W"氏に苛立ち、"W"氏あわててコップを干す)。
Br:ん〜、そういえば、ベートーヴェンさんの第4楽章もマーラー君に同じくこの曲の第5楽章に引用されてますねぇ("Br"氏、あくまでマイペース)。
Be:ほんま、マーラーはしゃあないやっちゃのう… ワシの第4楽章のフレーズを逆さにしたら、アイツの曲になりよるやんけ… ウップッ… おまけにあれの第5楽章もワシらと同じ「ニ長調」の音楽に仕上げとるし。うぃ〜〜
W:あれぇ? モーツァルトさんの曲を利用してて、そんなこと言ぇ…
Be:(ジロッ!! …瓶を握りしめ…)
W:いやいや… な、なんでもないです! す、すいません!(あわててコップを取り)の、飲みます!! あ、あのー、私の「オベロン」序曲もニ長調なんですけど…
Be:(気をとり直し)おお、そやっちゃそいやった。なんや、今日のプログラムはみんな「ニ長調」かいな… おーい、アンコールにもう6本!!?
なかなか酔いがまわってきているようで…
「楽聖」の遺品 高荻 泉
今から何百年も前に死んだ人間の話なんか、忘れられても仕方がない。普通はそんな人物の事は誰も覚えてないだろうし、分かったところではっきり言っても関係ないと言われるのが関の山である。ところが、これが、歴史上の有名人となるとそうもいかない。ただの伝記に尾鰭がついて、劇的な生涯が演出されたり、まことしやかな伝説が創作され、平凡な生涯が、突如として聖なる伝説へと書き換えられていくのである。どの時代にも歴史上の人物に惚れ込む輩がいて、ちょっとした偶然を想像力豊かに荒唐無稽な伝説へと膨らませていくものらしい。なかには、これを史実と混同して、学説として発表してしまう御仁もいて、こうなると立派な妄想である。いずれにしても死人にとってはいい迷惑である。
大作曲家でも、こうした例は枚挙にいとまがない。有名なピーター・シェイファーの戯曲『アマデウス』では、モーツァルト暗殺説が取り上げられ映画化もされて好評をとったが、あれはフィクションだからおもしろいのであって、史実はどうだったか分かるもんじゃない。まあ史実が詳しく分からないのをネタに娯楽が提供されるのだから文句を言う筋合いはないのだけれど。
さて、ベートーヴェンである。聴覚を冒されながら、偉大な作品を書き続けた大作曲家だけに、今日でも様々な伝記小説や研究者の主題になっている。何せ、1802年(32歳)に病気やら何やら口実に、有名な「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いてしまう芝居がかった人である。なんてドラマティックな生涯なんだろうと思う人もいることでしょうな。こうした中で、彼の病歴に焦点を与えた著述は少なくない。生きているうちから彼を悩ませた様々な疾病については研究者の興味が集まるようである。昔の人の病歴や死因なんか気にするなんて余計なお世話なのだが、正直、人間下世話な興味がある動物なのだ。筆者も実はそのクチである。
当時の主治医であったアンドレアス・ヴァヴルフ博士は検死報告や様々な証言から、ベートーヴェンの死因をワインの飲みすぎによるアルコール性肝硬変ではないかと推理しているのだが、これなんか、「楽聖」がぐっと身近になる話じゃありませんか。呑んだくれの大作曲家。ちょっと微笑ましい。
ヴィーンの医学者で自身高名なピアニストでもあるノイマイヤーは、これを否定し、B型肝炎ウイルスの感染を疑っている。さすがに現代医学の申し子である。
ところで近年になって、ベートーヴェンの病歴に決定版とも言える説が発表された。1994年になって、ベートーヴェンの遺髪とされる物件が、ロンドンのサザビーズの競売にかけられたのである。この髪の毛には裏書きがあって、それによると、フェルディナンド・ヒラーなる人物によって、1827年3月21日(即ちベートーヴェンの死の翌日)遺体から切り取られたものだというのである。ヒラーは作曲家フンメルの弟子にあたる人物で、後にケルンの音楽院の教授を勤めている。存命中はドイツの音楽界でかなり知られた人物で、あのマックス・ブルッフの先生にあたる。20世紀になってこの遺髪はヒラーの息子の手に渡るのだが、彼らがユダヤ系であったこともあって、ナチスの台頭とともに、ヒラー家の人々とこの遺品は行方不明になってしまったのである。1936年、ナチスドイツの再軍備政策によって、ケルンにドイツ軍が進駐するとともに、ヒラー家の人々はケルンから忽然と姿を消す。1938年以降、有名な「水晶の夜」に始まるユダヤ人の組織的迫害が彼らにどのような試練を与えたのか。戦後この遺髪はデンマークで発見されるのだが、その由来にはこれまで現代史の陰に隠された驚くべき事実があった。
現在この約500本の毛髪はカリフォルニア・サンノゼ州立大学のベートーヴェン研究センターに保管されている。オークションで競り落としたのはアメリカのベートーヴェン愛好家で不動産業者のブリリアントであった。彼は研究所にDNA鑑定を含む、様々な科学鑑定を委託して楽聖の病歴を明らかにしようとしたのである。並行して、世界中の調査機関を使って、ヒラー家の家系を探しだそうとした。こうして明らかになった事実はいろいろな従来のベートーヴェンについての研究に新たな光を当てるものとなった。
一人のベートーヴェン愛好家の執念が、激動の20世紀に翻弄された人々と、19世紀の大作曲家の死因の謎を歴史の闇から救い出したのである。音楽学者のラッセル・マーティンはこの数奇な運命について、感動的なノンフィクションを発表している(『ベートーヴェンの遺髪』白水社刊)。
伝説が歴史になる日は近い。