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第58回定期演奏会

2011年1月30日

愛知県芸術劇場コンサートホール

愛知県 名古屋市東区

ブラームス 交響曲第1番 
ヒンデミット ウェーバーの主題による交響的変容 
チャイコフスキー イタリア奇想曲
指揮:黒岩 英臣
指揮 黒岩 英臣(くろいわ ひでおみ)

1942年東京に生まれる。1960年桐朋学園大学指揮科入学、故斎藤秀雄氏に師事した。在学中はステージ、ラジオ、テレビ等で同大学オーケストラを指揮する他、ヴィオラ奏者としてNHK「朝のリサイタル」等に出演。ピアノ奏者としても活動した。

1964年、同大学弦楽オーケストラのアメリカ公演に指揮者として同行、ニューヨーク、ロサンゼルス、サンフランシスコ等で指揮した。

1965年同大学卒業、NHKテレビ「今年のホープ」に出演。同年、修道士となり1975年まで修道生活を送った。その間、神学、哲学、ラテン語、グレゴリオ聖歌、ポリフォニーを学び、典礼音楽の指揮、作曲を行う。

1976年、再び音楽に専念、1977年1月都響ファミリーコンサートの演奏で「久しぶりに現れた優れた資質をしかと感じさせる新人」と絶賛され、一躍脚光を浴びた。

1978年夏には、バークシャー・ミュージック・センターにクーセヴィッキー記念フェローシップ・コンダクターとして参加、研鑽を積む。

関西フィルハーモニー管弦楽団、札幌交響楽団、名古屋フィルハーモニー交響楽団、九州交響楽団の定期演奏会をはじめ、全国の主要オーケストラとの共演も数多く行っており、各種演奏会にて安定した評価を得ている。

自らが敬虔なキリスト教徒ということから、宗教音楽に造詣が深く、情熱的な音楽創りが評価されており、オラトリオ、レクイエム、ミサ曲等での名演を重ねている。

2000年の年頭には、J.S.バッハ没後250年を記念し東京オペラシティコンサートホールで「マタイ受難曲」を指揮し、「強固な信心に裏打ちされた演奏には、胸を打つ何かがひびいてくる」と絶賛された。

1981年9月から88年まで九州交響楽団常任指揮者、1985年8月から89年まで神奈川フィルハーモニー管弦楽団常任指揮者、1988年4月から1994年3月まで関西フィルハーモニー管弦楽団常任指揮者を歴任している。2001年9月から山形交響楽団常任指揮者を務め、2004年4月、同団名誉指揮者に就任した。

桐朋学園大学准教授。

名古屋シンフォニア管弦楽団について1982年名古屋を中心に活動する音楽愛好家により結成されました。
年2回の定期演奏会を中心に、厳しくも楽しい練習を基に、結成以来四半世紀余、中断することなく57回の定期演奏会を開催してきました。
若さと熱意に溢れる団員が結成したこのオーケストラも30年近くの歴史を刻み、年齢・出身・職業などバラエティーを増した仲間たちが織りなす音色も、尽きることのない情熱に加え円熟味を見せ始めたようです。
練習は毎週日曜日、効率よく充実感を得られる内容を心がけています。また、演奏技術、音楽論、さらに人生論(?)まで多くの先生方のご助言をいただいております。
音楽を愛する歓びを、お客様とこの素晴らしい仲間で分かち合えるステージになれば幸いです。

チャイコフスキー:イタリア奇想曲

全体で15分ほどのこの曲は、ローマ滞在中のチャイコフスキーが、イタリア騎兵隊の兵舎から聞こえたラッパの旋律にヒントを得たと言われるファンファーレで始まり、途中、イタリア民謡「美しい娘」の旋律に基づく6/8拍子のメロディがオーボエで奏でられます。その後、イタリアの民族舞踊タランテラのリズムによる旋律が、転調、新しい楽想等を加えながら進行し、クライマックスを迎えます。

ヴィオラのパート譜を見ると、刻みあり、リズム打ちあり、旋律パートへの参加機会もあり…とヴィオラらしい役割が与えられているのですが、チャイコフスキーの作品にしては曲調が明るく、練習に取り組みやすい曲という印象です。メドレーのように登場するイタリア民謡の旋律や舞曲の躍動的なリズムなど、シンフォニアの演奏を通して客席の皆様にイタリアの雰囲気(私は未だ行ったことがありませんが…)をお楽しみいただければ幸いです。

ヒンデミット:ウェーバーの主題による交響的変容

パウル・ヒンデミット(1895~1963)は、ドイツ出身の作曲家、指揮者、ヴィオラ奏者、その他の楽器もこなす多才な音楽家でした。20歳の頃には、フランクフルトの歌劇場のコンサートマスターに就任しています。アマール・ヒンデミット四重奏団のヴィオラ奏者として活動し、自身の作曲した曲の初演を行っています。その後、ナチスに追われスイスやアメリカへ移住しています。彼の作曲した作品はかなりの数に上りますが、指揮者としても活動しており、日本にも指揮者としてウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とともに訪れています。

彼の多くの作品の中でよく知られているものは、オペラ「画家マティス」と同題の交響曲「画家マティス」があり、交響曲「画家マティス」は以前の演奏会で取り上げております。変り種の作品として比較的知られたものは、「朝7時に湯治場で二流のオーケストラによって初見で演奏された『さまよえるオランダ人』序曲」という名の、原曲を知っている人からはジョーク音楽として評価されているものがあります。歌劇「さまよえるオランダ人」序曲をベースに、絶妙な下手糞さを曲で表現し、原曲を知る人は笑わずにはいられません。

今回取り上げる曲は、「ウェーバーの主題による交響的変容」です。これは、ヒンデミットの作品の中でも演奏される機会の多い作品です。この作品は、ウェーバーの作品であるピアノ連弾曲「8つの小品」、ピアノ連弾曲「6つの小品」、劇付随音楽「トゥーランドット」をベースに、ヒンデミットによりアレンジがされています。興味がある方は、ウェーバーの原曲も是非聞いてみてはいかがでしょうか。

第1楽章:アレグロピアノ連弾曲「8つの小品」作品60第1番が原曲です。全体としては、ほぼ原曲にしたがって進行します。原曲の旋律を生かしながらも、ヒンデミットのアレンジにより独自の世界が展開され、原曲とは似て非なる音楽となっております。

第2楽章:「トゥーランドット」スケルツォ、モデラートプッチーニの歌劇で有名な「トゥーランドット」と同じ素材の劇につけられたウェーバーの付随音楽が原曲になっています。打楽器を含めた各楽器にメロディーが回っており、フーガとジャズ風のリズムを伴って変容していきます。

第3楽章:アンダンティーノピアノ連弾曲「6つの小品」作品10第2番が原曲です。前半部では、クラリネットとファゴットの独奏により、メロディーが奏でられます。後半部では、前半部が再現されますが、主旋律の回りにフルートによる技巧的なオブリガートが飛び交い続けます。

第4楽章:行進曲

ピアノ連弾曲「8つの小品」作品60第7番が原曲です。原曲は、やや重々しい感じの葬送行進曲です。これをヒンデミットは全く違う方向に転換し、華やかな疾走感のある曲として原曲とは全く異なる印象を持つ曲としています。終盤では、金管楽器主導により輝かしい響きを奏で、クライマックスを迎えます。

トロンボーン奏者から見ると、ブラームスでは実質的な音符は1%以下で曲への参加率がとても低いのですが、こちらはかなり多くの音符があり、クライマックスにも盛大に参加させていただきます。

ブラームス:交響曲第1番

第1楽章 ティンパニとコントラファゴット、コントラバスといった低音楽器のC音(ド)の強い連打にヴァイオリンとチェロの上行する半音階的な旋律と、下降する木管とホルン、ヴィオラの旋律が交錯するインパクトある序奏で始まります。この楽章は6/8拍子で書かれており、どこかベートーヴェンの「運命」や、チャイコフスキーの交響曲第5番と似たような印象があります。どちらの曲も自分の「運命」に立ち向かうというテーマが隠されており、ブラームスもこの交響曲を完成させるという「運命」に立ち向かっているのを表現しようとしたと考えられます。

この楽章だけでも何度も書き直し、数年の構想を経て完成させたようですから、よほどのプレッシャーを感じていたのでしょうね。最後のコーダでハ長調になりますが、何か意味深な雰囲気で終わります。

第2楽章 1楽章とはうってかわり、静かな神聖な響きで冒頭が始まります。2楽章は母親思い(マザコン?)のブラームスらしい、聖母に捧げる教会音楽のようなイメージです。主に弦楽器とオーボエ、クラリネット、ホルンの美しい旋律が、この楽章を構成します。

おそらく、この楽章に入ると、ほとんどの人がこの旋律に癒されることでしょう。私は少し憂鬱ですが…なぜなら、最後にはヴァイオリンのソロが待っているからです。(オーボエさん、ホルンさんよろしくお願いしますね。)ブラームスが今までにお世話になった母親や、クララ=シューマンをイメージしてこの曲を書いたように、私も大切な人たちのために弾きたいと思います。

第3楽章 典型的な古典的形式の交響曲では、3楽章に三拍子のメヌエットやスケルツォが置かれるのですが、二拍子の第3楽章をおいています。冒頭クラリネットの旋律主題をベースに曲が展開されます。ヴァイオリンとヴィオラの対旋律のあと、弦楽器のリズムをベースに緊張感が保たれながら、素朴で優雅な旋律が流れていきます。最初のクラリネットの主題が戻った再現部のあと、静かにコーダを終えます。

第4楽章 冒頭、1楽章の暗いイメージを想起させる、重厚な旋律から始まります。「Hoch auf'm Berg, tief im Tal, grüß ich dich viel tausendmal」(山の高みから、谷の深みから、あなたに幾千回も祝福の挨拶を送る)その重く闇のような旋律から抜け出たあとに出現するホルンのテーマは、上の歌詞が添えられています。これは、スイス(ブラームスがいる土地)から友人(愛人?)関係にあったクララ=シューマンに宛てた、誕生日を祝う手紙の中で使われた言葉です。

そして、この楽章まで待たされているトロンボーン(お疲れ様です)のコラールから、ベートーヴェンの第九交響曲を連想させるような、歓喜への最後の道のりがスタートします。最後に待っているシンコペーションのカオスから抜け出れば、最大歓喜のクライマックスが待っています。

実は今回のプログラムの作曲者である、チャイコフスキーとブラームスは同じ誕生日(5月7日生まれ)で、私も5月7日生まれ(!)なのです。少し、「運命」のようなものを感じています。曲全体を通して、「暗から明へ」というテーマを感じ取っていただければ幸いです。この曲を書き上げるのに21年もかけた、ブラームスの魂こもった力作を、ゲキアツな黒岩先生とシンフォニアでお届けいたします!

やっぱり「ブラームスはお好き」 高荻 泉

「のだめ」の影響だろうか、ブラームスの第1交響曲が随分ともてはやされるようになった。TVシリーズ終盤のクライマックスの演奏会シーンで大変効果的に使われたことを覚えておられる方も多いだろう。もともとこの曲自体人気のある曲で、演奏会のプログラムにはよく乗る曲ではあるのだが。

さて、とにかく冒頭部分から全曲を通じて聴きどころ満載、そして最終楽章の盛り上がりが印象深い曲だけに、他の映画でも結構使われていたりする。有名な所ではクロード・ルルーシュ監督の『愛と哀しみのボレロ』(1981)。ヨーロッパを主な舞台に、四組の芸術家家族の姿を激動の20世紀を通して描いた大作である。結末のジョルジュ・ドンが踊った『ボレロ』のシーンが有名だが、物語的中盤、ダニエル・オルブリスキー演じる指揮者のクレーマーがナチス協力者であると宣伝されて、抗議のために誰も聴衆の来ない会場でブラームスの1番を振るシーンがあった。負の歴史を感じさせる名シーンである。

あの『猿の惑星』の名優チャールトン・ヘストンも指揮者役(!)でブラームスの1番をチラッと振っていたことがある。作品は1967年のラルフ・ネルソン監督の『誇り高き戦場』。昔よくテレビの洋画劇場でオンエアしていたのだが、こんな話だった。第2次大戦末期、米兵慰問のため前線に赴いたヘストンが指揮者を勤めるオーケストラがあろうことかドイツ軍の捕虜になってしまう。ドイツ軍司令官は芸術理解があって、ヘストンに自分だけの演奏会を開くよう要求するのだが、「敵のために演奏はできない」とかたくなに拒否するヘストン。と、そこにドイツの収容所を脱走した米兵が二人、オーケストラに紛れ込んでくる。ばれたら銃殺である。さあどうする(どんな展開だ)。物語の後半はドイツ軍・米軍・レジスタンスが入り乱れての大脱出作戦が展開される。もう何でもありの娯楽アクション映画であった。別に指揮者やオーケストラである必然性はなさそうだ。やっぱりヘストンは指揮棒よりマシンガンの方が似合うな、なんてことを考えながら見ていたことを思い出す。

だいぶ脱線してしまった。指揮者ハンス・フォン・ビューローが「ブラームスの1番はベートーヴェンの第10交響曲だ」なんて口走ってしまったことがこの曲の威気を決定づけてしまったきっかけかもしれない。本来ブラームスと対極にいたヴァーグナーに大きな影響を受けてきたビューローではあるが、この少し前、自分の妻だったコジマが師匠のヴァーグナーと不倫していることが明るみになったことを考え合わせるとちょっと意味深ではあるが。

初演(1876年)当時、ヴィーンの音楽界の大御所ハンスリックは同年12月のヴィーンでの演奏を聴いて新聞Die Neue Presseの批評欄にこう書いている。「この曲が交響曲史上もっとも個性的で格調高い作品であることはすぐに理解できる」。彼は3楽章だけは気に入らなかったのか「ここでの主題は旋律やリズムの魅力に欠け、全体に活気が乏しい。突然に音が鳴り止む結尾など何か場違いだ」とは言っているのだが、厳しい批評はここだけで、「ベートーヴェンの後期の様式にこれほど近づいた作曲家はブラームスをおいて他にいない」、さらには「我が国が誇れる大きな宝である」とまで言い切っている。大風呂敷ですな。

批評家絶賛、おまけにドイツ・オーストリア音楽を代表する大作曲家ベートーヴェンと並び称されるとなればブラームスの成功は約束されたようなものである。この曲のアメリカ初演(1877年12月)の評を見てみよう。「…熱心な支持者を含めて、ほとんどの人は今度のブラームスの新作にがっかりしている。驚いたことに、この曲の最初から最後までどこかで聴いたことのあるテーマでいっぱいなのである」と書いたのはDwight's Journal of Music紙の批評家氏。でも後半をよくよく読むと、「でもやっぱりブラームスのオリジナルの素晴らしい作品だよ」というまぎらわしい批評なのでブラームスファンの方はご安心を。やっぱりみんなブラームスは好きなんだね。


練習日記

私たちは毎週、こんな風に練習に取り組んでいます! 練習風景を日記調で紹介します。

11月14日(日) ♪パート練習

今日は午前中の弦分奏の後、午後からセカンドヴァイオリンのパート練習がありました。合奏や分奏は他の楽器と一緒に演奏しますが、パート練習はパートごとに行います。他の楽器の音がないので、周りの人の音も自分の音もよく聞こえます。そのため、音を間違えたりそろっていないとすぐに気が付くので、和やかな雰囲気にもかかわらず、ちょっと緊張して心臓がドキドキします。

13時30分より、パートリーダーを中心に半円を描いて座り、練習開始です。 まず、チャイコフスキーのイタリア奇想曲から。この曲は最後の方に難所がいくつかあるので、最後のページから練習しました。パートリーダーの指揮に合わせて演奏しつつ、指揮者の先生からの指示や音程、リズムを確認していきます。

次はブラームス。どうやって弾いたらよいか分からないところを相談したり、弾き方を揃えた方が良い個所を確認します。

このように、合奏や分奏では出来ない細かな練習をすることで、パートの音をまとめていきます。


11月28日(日) ♪管分奏

今日は金管打分奏の練習です。金管(ラッパの仲間)と打楽器はオーケストラの中で共同作業が多いので、一緒に練習することが多いのです。

オーケストラの中で我々の役割は、弦楽器や木管楽器のように華やかに流麗なメロディーを奏でたりすることは少なく、言わば「飛び道具」的な存在になっています。楽譜では比較的簡単な内容なのですが、一発の音で聴衆のハートを握り締めることが要求されますし、ミストーンの影響は、はかり知れないものです。そして、多くの場面でメンバーの息のあった演奏をしなければなりません。

満岡先生から、プレイヤーの経験を活かした多くのアドバイスをいただきながら練習が進んでいきます。みんなのリズムがしっくり合わないところなど、ちょっとリズム感のポイントの指摘でスムーズに音楽が流れ始めます…。毎回、少しずつ目からウロコが落ちていきますね。


12月12日(日) ♪弦分奏

今日は、弦楽器パートのみの弦分奏練習でした。トレーナーは斉藤先生。練習会場にmy violinを持ってきてくださり、指揮だけでなく、実際に演奏を見せながら、指導くださいます。

今日はイタリア奇想曲で、「弓を止める」ということが課題となりました。弓を止める=音が消えるわけで、合点がいかないかもしれませんが、止める瞬間に次の音へのパワーを溜めるのです。息を一瞬止めてから吐くと、普通に呼吸しているよりも大きな息が出ますよね。それと同じことなのです。また、休止することで、全員の呼吸を合わせる意味もあります。冒頭メロディーに、指揮者指示で追加したフェルマータ(音を伸ばす)。次の音を響かせたい。そんなときは、一瞬グッと我慢。弓を止めることで、フェルマータ後の音がとても生き生きとしてきます。・・・こうして指揮者の意図する表現に近づけるための作業を、積み重ねていくのです・・・。


1月16日(日) ♪TUTTI

今日は、本番の指揮者黒岩先生のTUTTI(合奏)です。 前回ご指導頂いた注意点を消化し、先生の音楽を演奏で表現できるよう、一生懸命練習してきました。

「心臓の鼓動のように」「底から湧き出るような音で」「まだまだf(フォルテ)が足りないよ!オーケストラ全体で歌って、もっともっと音を出して!」

バンダナを巻いて気合いたっぷりの黒岩先生から、檄が飛びます。 先生の指揮で、音楽が形作られる瞬間、演奏している身体がぞくぞくします。 あっという間の3時間半が終わりました。

会場の片付けと掃除をした後、パート毎に集まり、先生からのご指示を確認します。「このAの音が大事だから、ダウンボウで弾いた方がいいね」「早いパッセージは、もっと音の粒を揃えられるよう、来週までに各自しっかり練習してこよう」

・・・外はもう真っ暗。一週間の中で、私の一番好きな時間が終わりました。 明日からの通勤時間は、ブラームスとにらめっこだな〜。

チラシ表
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