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第59回定期演奏会

2011年7月31日

愛知県芸術劇場コンサートホール

愛知県 名古屋市東区

カリンニコフ 交響曲第1番
シューベルト 交響曲第7番「未完成」
R.シュトラウス 交響詩「ドン・ファン」

指揮:田久保 裕一

指揮 田久保 裕一(たくぼ ゆういち)

東京学芸大学音楽科卒業。指揮を伊藤栄、伴有雄、汐澤安彦、秋山和慶の各氏に師事、またチェロ、室内楽を黒川健氏に師事。1980年〜1992年まで12年間、千葉県習志野市にて小中学校の音楽教師を務めるかたわら多くのアマチュアオーケストラを指揮し、レパートリーを広げる。1992年に退職しプロの指揮者に転向。

1992年〜1993年、スイス・ルガノにおいて、リヒャルト・シューマッヒャー氏に、ウィーンにてウィーン国立音楽大学のカール・エスターライヒャー教授、湯浅勇治氏、およびザルツブルク・モーツァルテウム音楽院のハンス・グラーフ教授に師事。1994年11月、ルーマニア・ブラショフ市で開催された第4回「ディヌ・ニクレスク」国際指揮者コンクールにてグランプリを受賞。また、審査員特別賞「ルーマニア現代音楽演奏賞」と聴衆特別賞もあわせて受賞。1996年3月より、ほぼ毎シーズン、ブラショフの「ジョルジュ・ディマ」フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会に出演。またスロヴァキア放送交響楽団、ルーマニア国立「ミハイル・ジョラ」フィルハーモニー交響楽団、トランシルヴァニア室内管弦楽団、カザフスタンのアルマティ市立管弦楽団など、海外のオーケストラとの活動も広がっている。1999年12月31日、彦根第九オーケストラおよび合唱団を率いて、ベルリンのSFB大ホールにおいて、ベートーヴェンの第九交響曲を演奏、成功に導いた。2002年8月中国内蒙古自治区の呼和浩特にて内蒙古民族歌舞劇院交響楽団を指導。同団演奏会にて大成功を収める。多大な功績を讃えられ「名誉客演指揮者」の称号を受ける。その後も定期的に訪中し、同交響楽団や芸術大学、師範大学のオーケストラの指導を続けている。2009年7月、世界遺産コンサートプロジェクトに参加。ベトナムのフエ・阮朝王宮にて東儀秀樹氏、東京ニューシティ管弦楽団と共演し好評を博す。2010年3月、ウィーン楽友協会大ホール「第九演奏会」にて、ベートーヴェン生誕240年記念オーケストラ、合唱団を指揮。優れた音楽性と完成された演奏に高い評価を得る。2011年3月、ローマのサンタ・チェチーリア大ホールにて全日本選抜吹奏楽団を指揮、日伊交流親善演奏会を成功に導く。

これまでに東京シティフィルハーモニック管弦楽団定期演奏会を皮切りに、名古屋フィルハーモニー交響楽団、大阪フィルハーモニー交響楽団、セントラル愛知交響楽団、京都市交響楽団、新日本交響楽団(現東京フィル)、日本フィルハーモニー交響楽団、東京ニューシティ管弦楽団、京都フィルハーモニー室内合奏団、関西フィルハーモニー管弦楽団、大阪シンフォニカー、N響団員オーケストラ、ニューフィルハーモニーオーケストラ千葉など、国内の主要オーケストラを指揮。また全国のアマチュアオーケストラや合唱団の育成にも尽力、エネルギッシュで熱い人柄で、行く先々で音楽ファンをふやし、地域文化の活性化に一役買っている。また全国各地で指揮法講座も数多く開催している。日本指揮者協会会員。

ブログ 田久保裕一のミュージックプラザ [http://blogs.yahoo.co.jp/takubocchii]

ホームページ [http://www.musicinfo.com/takubo/]

名古屋シンフォニア管弦楽団について
1982年名古屋を中心に活動する音楽愛好家により結成されました。 年2回の定期演奏会を中心に、厳しくも楽しい練習を基に、結成以来四半世紀余、中断することなく58回の定期演奏会を開催してきました。 若さと熱意に溢れる団員が結成したこのオーケストラも30年近くの歴史を刻み、年齢・出身・職業・キャラなどバラエティー豊かな仲間たちが綾なす音色も、尽きることのない情熱に加え円熟味を見せ始めたようです。 練習は毎週日曜日、効率よく充実感を得られる内容を心がけています。また、演奏技術、音楽論、さらに人生論(?)まで多くの先生方のご助言をいただいております。 音楽を愛する喜びを、お客様と分かち合えるステージになれば幸いです。

R.シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」

今やプレイボーイの代名詞でもある「ドン・ファン」は、17世紀スペインの伝説上の人物です。ちなみにイタリア語の呼び名は「ドン・ジョヴァンニ」。こちらの作品(モーツァルト)の方がお馴染みという方も多いのではないでしょうか。

本作品は、シュトラウスがレーナウ作の叙事詩から着想を得たものです。比類なき放蕩の日々を送っていたドン・ファンは、ある日、かつて彼が殺した貴族の息子から決闘を申し込まれ、それを承諾する。そして行われた決闘、彼は勝利目前にもかかわらず突然剣を投げ捨て、自ら相手の一撃を受け入れて命を落とす…。

元来保守的でモーツァルトを崇敬していたシュトラウスですが、この作品を境に革新的な音楽へ傾倒してゆきます。この作品に対する初演当時の聴衆の反応は、半数が拍手喝采、しかし残り半数からは野次が飛んだそうです。現在では彼の出世作としてゆるぎない評価を受けるこの作品。本日演奏する奏者としては、作品に拍手喝采、しかし演奏には野次が飛ぶなんてことにならないようにしたいものです。

シューベルト:交響曲第7番「未完成」

「クラシック」と言えば学校の音楽鑑賞の時間に聴かせられる退屈な曲で、今で言う一種の「オタク」しか聴いていなかった私の子ども時代、同級生の誰もが知っていた交響曲が3つありました。「運命」、「新世界」、そして「未完成」です。

大人になった現在でも、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」の冒頭、「衝撃的な動機」はそれこそ誰でも知っています。ドボルザークの交響曲第9番「新世界」も、2楽章が下校時に流れていた「遠き山に日は落ちて」のメロディーだと言えば、「ああ、あの曲」とわかってもらえます。ところがシューベルトの「未完成」、そのメロディーを歌ってくださいと言われてすぐに歌える人がどれだけいるでしょうか。こんなに有名なのに。

二つの理由があると思います。一つは昔に比べて最近「未完成」の録音が流行らなくなったことです。かつてLP全盛時代、レコードは片面の収録時間の関係とニックネーム付きの有名な曲という商業的理由により「運命」と「未完成」のカップリングは、いわゆるドル箱として多数販売されていました。しかしCDでベートーヴェンの廉価盤の交響曲全集が発売されるようになり「未完成」の方は単独で売られなくなると、「未完成」の録音は陽の目を浴びなくなり、次第に、大衆の耳にメロディーが残らなくなってしまったのではないでしょうか。もう一つは「未完成」のメロディーの繊細さです。1楽章、2楽章ともあまりにもメロディーが美しく耳あたりが良いため、快いイメージしか残らないことがそれを助長したのかもしれません。

今日は、このあまりにも美しいメロディーを再現する繊細で困難な試みに、わがオーケストラが挑みます。結果を保証するとはなかなか言えませんが、様々な制約の中、できる限り準備は整えました。皆様にこの懐かしいメロディーの一端を感じていただければと願ってやみません。

<交響曲第7番ロ短調D759「未完成」>

フランツ・シューベルトが1822年に作曲した未完成の交響曲。シューベルトの代表作のひとつ。第1楽章 Allegro moderato ロ短調、4分の3拍子。第2楽章 Andante con moto ホ長調、8分の3拍子。

カリンニコフ:交響曲第1番

カリンニコフ。名前さえ知らなかったこの作曲家の曲紹介を書くことになり、音楽辞典をひも解いてみました。「モスクワ音楽院に学び、モスクワ楽派と国民楽派の伝統のうえに抒情性に富む音楽を書き、才能を高く評価されたが、結核で早世したため作品は少ない」(『クラシック音楽作品名辞典〈第3版〉』三省堂)本日のメインプログラムである彼の第1交響曲には、そのとおりの、抒情で溢れた旋律がたくさん現れます。まずは曲の冒頭、弦楽器のユニゾン(みんなが同じ旋律を演奏すること)で奏される第1主題(譜例1)。哀愁がにじみます。つづく第2主題はさらに美しく、ホルン、ヴィオラ、チェロが情感たっぷりに歌い上げます。そしてこの二つの主題がさまざまに形を変え、繰り返されます。

1楽章の悲劇的な終結とは対照的に、2楽章は夢心地にはじまります。ヴァイオリンとハープの3度の和音(ソミソミソミ・・・)の上で奏でられる旋律がこれまた美しく、思わず気が遠のいて・・・いえいえ、甘美な歌を他パートのみなさまに安心して歌っていただけるよう、気をたしかにソミソミします!

3楽章のスケルツォは舞曲風です(譜例2)。軽やかにステップを踏みたいところですが、それを妨げるのが随所に出てくる装飾音符たち。上手くできれば弾みに、下手すれば足かせに・・・。カリンニコフの理不尽(?)な仕打ちに練習では泣かされましたが、本日の出来はどうでしょう!?2/4拍子のトリオはエレジー(哀歌)です。

4楽章では、これまで歌われてきた主題たちが一堂に会します。この楽章の溌剌とした主題に1〜3楽章の主題たちを織り込みながら、曲はフィナーレへと向かい、圧倒的な盛り上がりのなかで締めくくられます。実は、この終結部は曲全体のなかで私のいちばんのお気に入りです!(譜例3)2楽章の主題でもあります。初めてこの交響曲を聴いて「カッコイイー!」と一目(一耳?)惚れをしました。

1866年、ロシアのオリョール地方(モスクワの南南西360kmに位置します)で生まれたカリンニコフ。決して裕福とはいえず、経済的、さらには身体的な理由で思うようには音楽活動に専念できなかったようです。苦学して音楽学校を卒業し、チャイコフスキー(1840〜1893)に認められてモスクワで指揮者のポストを手に入れますが、結核が悪化し、療養生活を強いられます。その病床で書かれたはずの第1交響曲。当時は不治の病だった結核を患い、死の恐怖を振り払うべく書き上げたのか、それは空想の域を脱しませんが、この終結部には、カリンニコフの内面より湧き出る力強い希望を感じずにはいられません。

「音楽の演奏は、すなわち作曲者への弔い」とおっしゃるあるトレーナーの先生ではないですが、35歳を目前に早世した作曲者に思いを馳せ、コンサートマスターとしての責務(というと大袈裟ですね)を全うしつつ、本日の演奏会に足をお運び下さったみなさまの心に残る演奏ができれば、この上ない幸せです(う〜ん、よくばりすぎかな・・・?)。

永遠の「歌曲王」シューベルト 高荻 泉

「歌曲王」シューベルトといえば、経済的貧困のうちに31歳の若さで亡くなったこともあって、悲劇の作曲家のイメージもつきまとい、モーツァルトと並んで日本でも人気のある作曲家のひとりといってよいだろう。学研の「音楽マンガシリーズ」の1冊で彼の伝記が出ているし、そういやオレも小学校の学級文庫にあった伝記で読んだっけ。鈴木淳史に言わせると、「平易な構造に独特のニュアンスを込めることのできた歌のお兄さん(性格はかなり暗い)」ということになるらしい。

さて、1828年に亡くなったシューベルト。従来から彼の死因は腸チフスであると言われてきたが、近年になって論争を呼んでいる。比較的早くに異を唱えたのは医学者のケルナーである。彼は1963年に自身の著書において、残されたシューベルトの病状に関する資料から、死因を「既往の性病の末期症状」であると断定した。「性病」とは梅毒である。スピロヘータの一種である梅毒トレポネーマの感染によって発生するこの病気は、ヨーロッパでは15世紀末に忽然と姿を現している。このため、1492年のコロンブスのアメリカ到達によってこの病気がヨーロッパに持ち込まれたとする説が有力である。ちなみに、日本でも1512年にはこの病気の最も古い記録とされるものが存在するという(凄まじい感染力だ)。19世紀のヴィーンはオーストリア・ハプスブルク帝国の首都であり、人口の急増に伴い、住宅問題や貧困、衛生面や治安など深刻な社会問題に直面していた。ノイマイヤーの著書によれば、1820年代のヴィーンには職業的に性的な娯楽を提供する女性が1万人いたという。ノイマイヤーもシューベルトの書簡などから、彼がその死の6年ほど前、1822年頃に病気に感染したのではないかと考えているようだ。1823年に入って、シューベルトはひどいめまい、不眠、そして頭痛におそわれ、頭部の発疹のため髪を剃ることも余儀なくされた。精神的にも深刻な落ち込み方をすることがあり、10月には入院している。

さて、先述したノイマイヤーだが、実は彼自身は梅毒死因説を採ってはいない。後に調査のため発掘されたシューベルトの遺骨の記録から、梅毒特有の骨の変性が見られなかったことを根拠としている。彼によれば、シューベルトは死の直前までは比較的元気で、梅毒治療は一定の効果を上げたという。そして直接の死因は遺された記録からやはり腸チフスであるとしている。

ここへきて、もう一つの説が浮かび上がってきた。キームレによって1996年に書かれた論説によると、当時、梅毒治療には一般的に水銀軟膏塗布や水銀蒸気の吸入が行われていた。シューベルトはその投与によって、水銀中毒になったというのである。先のノイマイヤーもシューベルトが水銀療法を受けた可能性については言及している。キームレによれば、最初に病状が重くなった時にシューベルトは髪を剃ったのではなく、抜け落ちたとする。また、死の直前、彼がひどい譫妄状態に陥ったという記録が残っているが、これらは深刻な水銀中毒の典型的な症状であるとキームレは指摘する。

そんなに大量に水銀を使用したら、医者だってあぶねえんじゃないかと思ったりするが、なにせ180年ほども昔の話である。

「未完成交響曲」がどうして未完成かなんてことも、実はたいした理由はないのかもしれない。なにしろ、シューベルトが作曲途中で放り出した交響曲は、有名なロ短調交響曲を含めて少なくとも5曲確認されている。あきっぽい人だね。それにお気づきだろうか、シューベルトが最初に身体に変調をきたした1823年というのは、ちょうど「未完成交響曲」の作曲時期にあたる。だとすると、この曲が未完成に終わった理由は、単に病気が重くて仕事ができなかったからだという推測も成り立つではないか。

再び鈴木淳史に登場願おう。彼は「シューベルトの未完成交響曲」についてこう語っている。 ―作曲家がイヤになって投げ出した代物に、人々が勝手にドラマを夢見てしまった作品― 案外そんなものかも。

チラシ表
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