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第63回定期演奏会

2013年7月21日

愛知県芸術劇場コンサートホール

愛知県 名古屋市東区

ストラヴィンスキー 交響曲 変ホ長調 作品1
ハチャトゥリアン バレエ音楽「ガイーヌ」より抜粋 
シベリウス 交響詩「春の歌」作品16
指揮:角田 鋼亮
指揮 角田 鋼亮(つのだ こうすけ)

2006年、第3回ドイツ全音楽大学・指揮コンクールで最高位を獲得。2008年、第4回カラヤン生誕100周年記念の同コンクールでも2位入賞を果たした。2010年、第3回マーラー指揮コンクールでは最終の6人に残った。

これまで共演したオーケストラはコンツェルトハウスオーケストラ・ベルリン、ブランデンブルク交響楽団、ドレスデン州立劇場オーケストラ、上海歌劇院管弦楽団、東京都交響楽団、東京交響楽団、大阪交響楽団、名古屋フィルハーモニー交響楽団、セントラル愛知交響楽団、中部フィルハーモニー交響楽団、愛知室内オーケストラ、群馬交響楽団、仙台フィルハーモニー管弦楽団、瀬戸フィルハーモニー交響楽団、ニューフィルハーモニーオーケストラ千葉、横浜シンフォニエッタ、ソリストはウィーン・フィルのコンサートマスターであるライナー・キュッヒロ、同オーケストラのクラリネット奏者エルンスト・オッテンザマー、ヴァイオリニストのソフィア・ヤッフェ、長原幸太、白井圭、チェリストの遠藤真理、ピアニストの小川典子、松本和将、上原彩子、田村響、北村朋幹、ソプラノの佐々木典子氏などが挙げられる。一方、オペラ、バレエ、ミュージカルの分野でも活躍。04年、TPT主催ミュージカル「ナイン」では急遽指揮者を務め、その公演は紀伊國屋演劇大賞を授与された。オペラでは古典から現代物まで数々の作品を指揮し、とりわけ04年に手掛けたシューベルトのオペラ「四年間の哨兵勤務」「サラマンカの友人達」の日本初演は、「モーストリー・クラシック」誌において、その手腕が高く評価された。新国立劇場、二期会、東京室内歌劇場では公演により副指揮者、合唱指揮者を務める。

テレビ・ドラマ「新春スペシャル・のだめカンタービレ」においては指揮指導を、映画「のだめカンタービレ・最終楽章」では、それに加え千秋真一役のピアノ演奏手元吹き替えを務めた。

11年、NHK名古屋放送局「さらさらサラダ」に出演、その他NHKカルチャー青山教室、名古屋教室、二期会研修所の講師を務めるなど活躍の幅を広げている。

公式ホームページ:http://kosuketsunoda.com

名古屋シンフォニア管弦楽団について
1982年に名古屋を中心に活動する音楽愛好家により結成されました。その後、地元名古屋はもとより全国各地から来た転勤者も多く加わり、現在では、約90名規模のオーケストラに成長しています。年2回の定期演奏会も中断することなく開催し続け、2012年に30周年を迎えることができました。
練習は毎週日曜日に、厳しい中にも楽しく充実感を得られる内容を心がけています。また多くの先生方より、演奏技術、音楽論、さらに人生論(?)までご助言をいただきながら活動しております。舞台から溢れる音楽を愛する喜び、そういったものがお客様に伝わり共に楽しめるステージになれば幸いです。

ジャン・シベリウス:交響詩「春の歌」 作品16

日本の春といえば、やはり桜でしょうか。 冬の間、葉を落とし息を潜めていた老木が、四方に枝を大きく広げ満開の花を咲かせると、その圧倒的な生命力に、また春がめぐって来た、と実感します。この作曲家の故郷フィンランドでは、日本よりずっと厳しい冬が長く続きます。氷が解け、再び太陽が明るく輝き、木々が芽吹く時、地中深くから湧き上がるような生命の息吹を、そこに住む人びとはなお一層強く感じることでしょう。この曲は、そんな春への想いを切なくも朗々と歌い上げています。

「春の歌」は二部形式で書かれており、ゆったりした旋律が流れるように繰り返される中、次第に高揚し頂点に向かっていきます。冒頭は弦のピチカートとティンパニのトレモロで始まり、続いてクラリネット、ヴィオラ、チェロによる第一主題が現れ、他の木管楽器も加わって展開されます。さらに高弦に移って徐々に形を変えながら高揚が全体に広がっていきます。下降音による第二主題が現れると更に高まりを見せ、再び第一主題が演奏された後、チューブラーベル(金属の鐘)が鳴り響き、一旦静まりますが、すぐに勢いを取り戻し力強く終わります。

実は、シベリウスはこの曲を2度書き改めています。1894年に「オーケストラのための即興曲」として発表し、翌1895年に一度書き変え、更に後になって現在の形に改めました。以前の版では、もどかしさや憂いがより色濃く感じられ、複雑な思いが込められていたようにも思えます。どのような経緯があったにせよ、作曲家自身が最終的に残した現行版は、やはり最も感動的に春の喜びを伝えてくれます。

アラム・ハチャトゥリアン:バレエ音楽「ガイーヌ」より抜粋

ロシアはバレエ音楽の傑作が多い。チャイコフスキーの3大バレエや、プロコフィエフのロメオとジュリエット。そして今回取り上げるガイーヌも、ロシアの作曲家ハチャトゥリアンが生み出した傑作である。

ハチャトゥリアンは、アルメニアやコーカサス地方の民族音楽の影響を受け、大胆・強烈なオリジナリティあふれる曲を数多く作った。とりわけ、このガイーヌは、みずみずしく魅惑的なメロディー、民族色あふれる強烈なリズムで、現在も聴衆の心を捉え続けている。

バレエ「ガイーヌ」は、アルメニアが舞台。ロシアの国営農場で働く女性ガイーヌを主人公とし、多くの民族の愛や裏切り、友情が多彩に絡み合う物語である。本作品には、原典版(1942年)と、ボリショイ版(1958年)があるが、ストーリーは別物といって差し支えない。原典版では、社会主義の政治色を大きく打ち出しているのに対し、ボリショイ版では、美女ガイーヌをめぐる二人の若者の心理の複雑な動き、愛情、嫉妬、友情など、感情の葛藤を描いた心理的ドラマとなっている。配役もかなり異なっており、原典版では、ガイーヌは既婚者で子供がいるのに対し、ボリショイ版では、未婚の若い女性である。さらに原典版でガイーヌの兄であるアルメンは、ボリショイ版では、なんと恋人になっている。

今回は、下記8曲を抜粋して演奏する。原典版に即して、各曲の説明と聞き所を紹介する。

■アルメンのヴァリエーション

アルメンの一人踊りを描いた曲。独特のリズムに注目。

■バラの乙女達の踊り

バラで飾った娘達の華やかな歓迎の踊り。木管の優雅な旋律とコルネットの軽快な対旋律が魅力。

■目覚めとアイシェの踊り

アイシェ(アルメンの恋人)の魅惑的な踊り。ヴァイオリンの旋律の後に登場するサキソフォーンによる甘くせつない対旋律に注目。アイシェに密かに思いを寄せるイスマイルの想いを描いている。

■子守唄

ガイーヌの子供に聴かせる子守唄。オーボエのソロの後、フルートが美しい東洋的な中央アジアの旋律を奏でる。優しく哀愁に満ちあふれた曲。

■山岳民族の踊り

金管と打楽器が執拗に繰り返す特異なリズムにのって、弦楽器と木管が激しく旋律を奏でる民族舞踊。テンションが極限まで高まった所で曲は終了する。

■ガイーヌのアダージョ

ガイーヌの精神的なやさしさ、気高さを表現したアダージョ。弦楽器のみで演奏するこの曲は、映画『2001年宇宙の旅』で使用され、宇宙船を描写した印象的なシーンを見事に表現した。

■剣の舞

クルド族が出陣の時に踊る戦闘的な舞踊。強烈なリズムを持つ。この作品中で最も有名な曲であり、ハチャトゥリアンの名を後世に残すことに大きく貢献した。しかし、この曲だけが異常なほど有名になってしまい、本人は複雑な心境だったようだ。

■レズギンカ

レズギ族の民族舞踊。スネアドラムの強烈なリズムにのって、弦楽器と木管が激しい旋律を奏でる。オリジナルの舞踊はゆるやかなものなのだが、ハチャトゥリアンはテンポを速め、野性的で色彩的な効果を強く出している。

イーゴリ・ストラヴィンスキー:交響曲 変ホ長調 作品1

イーゴリ・ストラヴィンスキー(1882〜1971)は、父親がプロの音楽家という音楽的な家庭に生まれた。彼の両親は、法律の勉強をさせるため、彼をサンクト・ペテルブルグ大学に入学させたが、彼の興味は完全に音楽の道にあった。大学でリムスキー=コルサコフの末息子と友人関係になった彼は、1902年の夏休みにリムスキー=コルサコフを訪ねたことを契機に弟子入りし、管弦楽法・作曲法を学んだ。

交響曲 変ホ長調(作品番号1)は、作曲家として独り立ちするために1906年から1907年にかけ、最初の本格的な作品として、ひとつの楽章の一楽段を書き終える度にリムスキー=コルサコフの講評を受けながら制作された。チャイコフスキーやグラズノフの交響曲を模範にしていたこともあり、古典的な構成を採っている。「私がその交響曲を書いたのは、グラズノフが交響楽の学識における絶対的な巨匠として君臨していた時代だった。〜中略〜。当時の私はこの特質家の驚くべき技量に魅了されていた。従って、私がとりわけグラズノフの交響曲を自分の交響曲のモデルとしたのはごく自然なことだった。」自伝で述懐している。この作品以降、彼は「火の鳥」「春の祭典」を代表作とする前衛的な作曲家へと才能を開花させていく。

【第1楽章】変ホ長調、アレグロ・モデラート

低音楽器による力強い主題が始まり、第1楽章全体を通して、この主題が時には悲しく、時にはやさしく、形を変えて展開される。その展開方法がグラズノフの交響曲を回想させる。楽章の最後でも、この主題が再度強調される。

【第2楽章】変ロ長調、スケルツォ:アレグレット

2拍子による軽快なリズムで、高音楽器が主体の華やかな音色の楽章である。角田先生による今回の演奏は超快速! 名古屋シンフォニアはこのテンポに追従できるのでしょうか? 中間部トリオのメロディーはペトルーシュカを連想させる。

【第3楽章】変イ短調、ラルゴ

この曲の中で、最も感情に訴えかけるような曲想の緩徐楽章である。木管楽器の特徴を生かし、独特な音色を醸し出しているが、中間部の静かなファゴットソロに超高音をシレッと出してくるところが恐ろしい。コーダ部はチャイコフスキー交響曲第6番を連想させる。

【第4楽章】変ホ長調、フィナーレ:アレグロ〜プレスト

フィナーレにふさわしく躍動感あふれるダイナミックな楽章である。楽章全体の構成は、グラズノフの交響曲第5番にどことなく似ている。展開部ではシンコペーションによる悲しげなメロディーがファゴットから始まり、各楽器によって展開され、躍動的な主題による再現部へ突入する。コーダ部はチャイコフスキー交響曲第5番のそれを連想させる。

【一口メモ〜木管パートの聴きどころ〜】

なぜか2ndパートや3rdパートにソロや対旋律が多く、2nd奏者・3rd奏者はウハウハしているのでご注目ください。

(*)参考文献

・「ストラヴィンスキー 二十世紀音楽の鏡像」 船山隆 著、音楽之友社

・「私の人生の年代記 ストラヴィンスキー自伝」 笠羽映子 訳、未来社

20世紀と音楽 ―ストラヴィンスキーの場合―高荻 泉

イーゴリ・ストラヴィンスキーは、1882年ロシアのペテルブルク近郊に生まれた。その意味で彼は「ロシア生まれ」なのだが、決して「ロシア人」というわけではなかった。ロシア(といってもグルジアだけど)に生まれたアラム・ハチャトゥリアンは1963年、「ソヴィエト音楽」に寄稿した「民族的なものと国際的なもの」と題する論文(凄いタイトルだ)の中で、自国の同時代の優れた作曲家にミャスコフスキー、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチらの名を挙げている。続けてストラヴィンスキーの名も挙げられてはいるのだが、それは「ソヴィエト以外の国の作曲家」のカテゴリーに入れられている。

1910年にバレエ『火の鳥』がパリで成功を収めて以後、ストラヴィンスキーは西ヨーロッパで活動するようになっていた。1914年の夏、彼が故郷のキエフから西ヨーロッパへ赴いた直後、第1次世界大戦が勃発する。彼はこう書き残している。「私は軍務不適格者とされていたので、祖国に戻る必要がなかった。もはや祖国を再びみることがないとは、その時まったく予想もしなかったし、いずれにしても、その地を捨てるという思いもなかった」。彼はスイスに拠点を定めたが、結局、第1次世界大戦が終結してもロシアには戻らなかった。1920年にはフランスへ定住し、さらに第2次世界大戦の直前、1939年にはアメリカ合衆国へ渡ることになる。1945年に合衆国の市民権を取得したストラヴィンスキーは、先述のハチャトゥリアンの論文が書かれた時点で、ソヴィエトの作曲家から見れば、「ロシア系アメリカ人」という位置づけだったのだろう。

とはいうものの、ソヴィエト政府がストラヴィンスキーを放っておいたわけではない。1962年になって、彼はソ連政府の招きに応じてモスクワとレニングラードを訪れている。ストラヴィンスキーは既に80歳になっていた。この時、ストラヴィンスキーはモスクワで作曲家同盟のパーティに招かれ、当時のソヴィエトを代表する作曲家、ハチャトゥリアンやショスタコーヴィチと対面している。同行した弟子のクラフトによると、「誰一人として作曲家としてのI. S.(ストラヴィンスキーのイニシャル)の本当の才能について理解していない」ように見えたらしい。ストラヴィンスキーは同席したハチャトゥリアンらに対して「私はあなた方の音楽をもっと知りたいと思います」と挨拶したのだが、ここにはクラフトの手によって「((これは礼儀正しい嘘))」と注釈が付されている。意地が悪いね。ハチャトゥリアンは冒頭に引用した論文以外でも、事あるごとにストラヴィンスキーを持ち上げているのだが。

長木誠司のストラヴィンスキーの評伝では、周囲の証言から、大戦やロシア革命などの影響で、ストラヴィンスキーが著作権収入に関して不利益な扱いを受けたため金銭面で強いこだわりを見せるようになったことが仄めかされている。しかしアメリカへ移住した後、資本主義の洗礼を受けたストラヴィンスキーも楽曲の使用料に関してトラブルに見舞われる。ストラヴィンスキーを激怒させた人物とは誰あろう、あのキイキイ声で喋るネズミの生みの親ウォルト・ディズニーであった。1940年に公開されたディズニーの長編映画『ファンタジア』の中で恐竜の登場するシーンに『春の祭典』が使用されているのを御記憶だろうか。ディズニーは5,000ドルの使用料で『春の祭典』を映画に使用する旨の電報をいきなりストラヴィンスキーに送りつけたのだ。エリオットのディズニーの評伝によると、この時、ディズニー・スタジオにはしたたかな計算があった。ディズニー側の弁護士レッシングは、この曲の版権が革命前のロシアにあり、作曲家自身が手を出せないことを知って、「たとえ許可が下りなくてもどのみち音楽は使う」という「破廉恥な脅し」をかけた。このままでは曲が盗まれることを恐れたストラヴィンスキーは不本意ながら契約書にサインせざるを得なかったのである(後にこれは訴訟沙汰になっている)。世界的人気者で歴史に残るアニメ映画の「傑作」も裏を返せばこんなものである。

そういえば、この『春の祭典』がパリで初演され、暴動に近い騒ぎが起きてから今年はちょうど100年目である。



インタビュー
シンフォニアに入ったきっかけを教えてください

名古屋シンフォニア管弦楽団は、約90名規模の団員で活動しています。それぞれ、どんなきっかけがあって入ったのでしょうか。そこで、在団歴の長い団員から、最近入った団員まで、シンフォニアに入ろうと思ったきっかけを、インタビューしました。

在団歴4年 男性

会社が休みの日に練習がある、名古屋で老舗のオーケストラをインターネットで探したら、シンフォニアの練習が日曜日だったので。過去の演奏会の曲目を見たところ、定番の曲から、挑戦的な曲も演奏する、バランスの良さがいいと思った。

今回の挑戦は、ストラヴィンスキーです。

在団歴22年 男性

大学でオーケストラに入っていて、卒業後は、小編成のアンサンブルに時々参加していましたが物足りず、オケをどこかで続けたいと思い、シンフォニアをたずねたところ、当時の団長からテニスやスキーも出来るよと誘われて、入ってしまいました。

在団歴16年 女性

子供と一緒にバイオリンのレッスンを始めたのですが、それだけではつまらない、もっと何かしたいなあと思っていた時、シンフォニアの団員募集のチラシを見て、入りました。

在団歴3年 女性

名古屋に引っ越してきて、オーケストラを探していたところ、名古屋に住んでいた高校の先輩から、シンフォニアを薦められたため。毎回、トレーナーの先生に練習を見てもらえるのもいいと思ったから。

トレーナーは現在9名。東京からもお呼びしています。
チラシ表
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