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第65回定期演奏会

2014年7月20日

愛知県芸術劇場コンサートホール

愛知県 名古屋市東区

ショスタコーヴィチ 交響曲 第6番 
シベリウス ヴァイオリン協奏曲 
グリーグ 抒情組曲
指揮:新田 ユリ
独奏:平光 真彌
指揮 新田 ユリ(にった ゆり)

国立音楽大学卒業。桐朋学園大学ディプロマコース指揮科入学。指揮を尾高忠明、小澤征爾、秋山和慶、小松一彦各氏に師事。1990年第40回ブザンソン国際青年指揮者コンクールファイナリスト。

1991年東京国際音楽コンクール指揮部門第2位。1991年に東京交響楽団を指揮してデビュー。

その後も東京都交響楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団、ニューフィルハーモニーオーケストラ千葉、仙台フィルハーモニー管弦楽団、広島交響楽団、札幌交響楽団、京都市交響楽団、神奈川フィルハーモニー管弦楽団、大阪センチュリー交響楽団、名古屋フィルハーモニー交響楽団、アンサンブル金沢、京都フィルハーモニー室内合奏団、東京室内管弦楽団、愛知室内オーケストラを指揮。

また東京佼成ウィンドウケストラ、大阪市音楽団、シエナ・ウインド・オーケストラ、東京吹奏楽団など吹奏楽での活動も行っており、1994年にキングレコードより東京佼成ウィンドウケストラを指揮して6枚リリース。2009年10月には東京佼成ウィンドウケストラ、大阪市音楽団を指揮したCDが3枚ポニーキャニオンよりリリースされた。オペラでは、横浜シティオペラ、大田区民オペラ協議会でモーツァルトの5大オペラ、「夕鶴」などを指揮。

2000年10月〜2001年10月、文化庁芸術家在外研修員としてフィンランドに派遣され、音楽監督オスモ・ヴァンスカ氏のもとラハティ交響楽団で研修。フィンランド国立歌劇場とサヴォンリンナ音楽祭においても、オスモ・ヴァンスカ氏のアシスタントを務める。これまでにクオピオ交響楽団、ミッケリ市管弦楽団、ヨエンスー市管弦楽団、フィンランド海軍吹奏楽団、フィンランド国防軍吹奏楽団、ラ・テンペスタ、クリスチャンサン交響楽団などフィンランドはじめ北欧諸国へ客演を続けている。

2005年〜2007年オウルンサロ音楽祭へ招聘、2006年、2013年リエクサ・ブラスウィーク客演。2005年9月にフィンランド日本友好協会よりラムステッド基金奨学金を授与される。

また2006年4月にはオクタヴィア・クリストンよりヨウコ・ハルヤンネ氏(フィンランド放送交響楽団ソロ首席トランペット奏者)との共演CDがリリースされた。

2006年、2007年には東京新聞フォーラム「指揮者がみたフィンランド」にて講演と演奏のプロデュース・指揮を務めた。2007年4月より2009年3月まで中日新聞「エンタ目」に月1度コラムを執筆。プログラムノートの執筆も多く自分の公演のほか、北欧音楽を取り上げた2007年5月紀尾井シンフォニエッタ東京、2008年1月NHK交響楽団の定期演奏会を担当。

2008年6月、2010年7月にNHK「名曲探偵アマデウス」に出演。シベリウスの「フィンランディア」「交響曲第2番」を特集した番組の解説を務める。

日本シベリウス協会事務局長・理事。国立音楽大学、桐朋学園大学、相愛大学、同志社女子大学などで後進の指導に当たっている。アイノラ交響楽団正指揮者「森と湖の詩サロンコンサート」主宰。

○公式ホームページ「森と湖の詩」

http://www.yuri-muusikko.com

ヴァイオリン 平光 真彌(ひらみつ しんや) 

愛知県立芸術大学音楽学部卒業。同大学大学院音楽研究科修了。中村桃子賞受賞。ヴァイオリンを青山泰宏、大久保テオミ、進藤義之、E.ダネル、岡山芳子の各氏に師事。指揮を紙谷一衛、学内指揮法にて外山雄三の各氏に師事。第11回日本クラシック音楽コンクール弦楽器部門全国大会第3位。第1回宗次ホール弦楽四重奏コンクール第1位。併せて、聴衆賞、オーナー賞を獲得。2007年、2010年及び2012年、小澤征爾音楽塾セミナーにて最優秀カルテットとして「緑の風 音楽賞」受賞。2012年には講師特別賞を同時受賞。弦楽四重奏において松尾音楽助成金受賞。ソリストとして、ブルガリア国立ソフィアフィルハーモニックオーケストラ、プラハ放送交響楽団等と共演。岐阜済美学院、愛知室内オーケストラ、オーケストラ・アカデミカコンサートマスター。愛知県立芸術大学非常勤講師。当団のトレーナー。

名古屋シンフォニア管弦楽団について
1982年に名古屋を中心に活動する音楽愛好家により結成されました。その後、地元名古屋はもとより全国各地から来た転勤者も多く加わり、現在では、約90名規模のオーケストラに成長しています。年2回の定期演奏会も中断することなく開催し続け、2012年に30周年を迎えることができました。
練習は原則として毎週日曜日、厳しい中にも楽しく充実感を得られる内容を心がけています。また多くの先生方より、演奏技術、音楽論、さらに人生論(?)までご助言をいただきながら活動しております。舞台から溢れる音楽を愛する喜び、そういったものがお客様に伝わり共に楽しめるステージになれば幸いです。

グリーグ:抒情組曲

本作品はグリーグのピアノ音楽における代表作である「抒情小曲集」の中でも、最も充実した曲集とされる第5集(全6曲)から4曲を抜粋して管弦楽用に編曲されたものであり、彼の出身地であるノルウェーや北欧の民族的な素材が多く使われている。

【第1曲】 羊飼いの少年

最初に奏でられる旋律は牧童の笛の音を表現している。この旋律が少しずつ形を変え繰り返し奏でられる。題名からは想像し難い程の哀愁と孤独感に満ちた曲だが、少年の身に何があったのか気になって仕方無いのは私だけだろうか?

【第2曲】 ノルウェーの農民の行進

楽器や調を変え奏でられる旋律は、陽気な農民達(きっと収穫直後)を表現している。シンプルで素朴な曲ではあるが、多彩なオーケストレーションもみせる。新田先生との初練習にて、ちゃんと「農民」になるようにご指導頂いた曲であり、間違っても無骨な「兵隊」や「土建屋」にはならないように注意せねばならない曲である。

【第3曲】 夜想曲

北欧の夜の雰囲気を表現した曲。静かで落ち着いた夜空から、鳥のさえずりが聞こえ、そろそろ夜明けかと思っていると、また夜の帳が下りてくる。オーロラは極夜(きょくや)の方が綺麗に長時間見られるそうだが、そんな季節をイメージさせられる曲である。

【第4曲】 小人の行進

原題はTroldtog(トロル)であるが、これは多くの日本人がイメージするものとは異なり、ノルウェーに伝わる伝説の妖精もしくは小鬼を意味する。冒頭に奏でられる主題はトロルの軽妙さとユーモアに満ちた動きを表現している。演奏者の立場としては、山の魔王の宮殿で小鬼の群れに追いかけ回されているような気分になる曲である。

シベリウス:ヴァイオリン協奏曲 (1904年初演、1905年改訂)

「極寒の澄み切った北の空を、悠然と滑空する鷲のように」〜1楽章の冒頭を表現したシベリウス自身の言葉である。自然美、荒々しさ、素朴さ、情念、透明感など入り混じった世界が、オーケストラと1本のヴァイオリンより描かれ始める。〜

この作品はフィンランドの作曲家であるシベリウスの唯一のヴァイオリン協奏曲です。冒頭のとおり、シベリウスの感性を十分に引き出しているとともに、1人の人間の人生を表しているとも感じられる、素晴らしい作品です。シベリウスはブラームスのヴァイオリン協奏曲を聞いた経験から、技術的、技巧的な面はもちろん、交響的な音色を目指し、当時のヴァイオリン協奏曲の殻を破ろうと挑戦しました。今回演奏されるのは改訂版ですが、この版の完成に至るまでに、シベリウスは初稿版から冗長な部分を削除して、より洗練された形に仕上げています。

【第1楽章】 Allegro moderato

通常なら楽章の終わりに出てくるソロ・カデンツァが、楽章の真っ只中・展開部の中心として位置付けられているのが特徴的です。随所にオーケストラやヴィオラソロと呼応しながら、ドラマが展開されます。数あるヴァイオリン協奏曲の中でも、非常に壮大なスケールで描かれている屈指の名楽章です。

【第2楽章】 Adagio di molto

クラリネットとオーボエの平和で穏やかな音色で始まり、ヴァイオリンのソロからは神秘的で美しいメロディーが奏でられます。中間部ではオーケストラから疑念や苦難の暗雲を表す旋律が起こり、その後、鼓動(シンコペーション)を刻みます。ヴァイオリンソロはその鼓動に縛り付けられますが、やがて解放されると、天高く舞い上がり昇華して、感動的に終止します。

【第3楽章】 Allegro, ma non tanto

野性味あふれる民族の踊りのような低音のリズム(ロンド主題)に乗って、ヴァイオリンソロが悠然と姿を表します。ヴァイオリンソロの技術として、ダブルストップ(重音)が随所に使用されており、中にはオクターブを超えた10度のものも存在し、非常に難易度の高いものとなっています。途中、ヴァイオリンソロは、旅人の口笛、あるいは鳥の鳴き声とも感じられる幻想的なフラジオレットを奏でます。その後、最高潮に盛り上がっていき、ヴァイオリンの叫びとともに、クライマックスを迎えます。

今回は、当団のトレーナーでもある平光先生にヴァイオリンソロを演奏して頂きます。平光先生の情熱あふれるヴァイオリンの音色をお楽しみください。

ショスタコーヴィチ:交響曲 第6番 ロ短調

レコード屋(CD屋? 最近ならネット?)でこの曲を探してみると、その種類はあまり多くない。場合によっては見当たらないこともあるし、あったと思ってもチャイコフスキーの「悲愴」だったりする。チャイコフスキーの「悲愴」も交響曲第6番ロ短調なので、番号も調性も一緒である。かの名指揮者バーンスタインによれば、これは偶然ではなくショスタコーヴィチはチャイコフスキーの「悲愴」を意識して作曲したのだという。

ショスタコーヴィチは社会主義リアリズムの激動の中をくぐり抜け作曲を続けた、20世紀を代表するソ連の作曲家である。交響曲第1番で高い評価を得て、前衛的、個性的作風を突き進む矢先に、1936年スターリン独裁体制のもと、形式主義だとしてプラウダ批判を受けることとなる。簡単にいえば、体制を賞賛するわかり易い曲を書いていないということである。これはこの国家体制のもと作曲家として失格の烙印を押されただけでなく、場合によっては粛清の対象になるという、生命の危機を迎えることとなった。

社会主義リアリズムに迎合した作曲家になるための猶予を与えられた期間に、すでに作曲を進めていた交響曲第4番を発表しようとするが、曲の内容に危険を感じ撤回したといわれている。(もし発表していたら、粛清されていたかもしれない。)その後の1937年、あの有名な交響曲第5番を発表する。この国家体制に迎合したかのような内容の作品により、ショスタコーヴィチは復権を果たし、世界にその名を知らしめることとなる。ただしこの第5番はかなり後の1979年、ショスタコーヴィチの証言という記録により、評価が一変する。現体制に批判的な心情をこの交響曲に込めたと書かれていたからである。

交響曲第6番はこの第5番の2年後1939年に作曲された。第5番の成功後、ショスタコーヴィチはレーニンを主題とする交響曲を作曲する意向があると発表している。しかし社会主義革命やレーニンに対して賛美、尊敬の気持ちがあっても、当局からの強制的な意向では作曲意欲はわかなかったのかもしれない。結局は、春、喜び、青春の雰囲気を持った交響曲として発表されることとなる。

ショスタコーヴィチの発言記録については、公式発言は勝手に書かれて署名だけしていたといわれているし、非公式の発言記録でも本当に語っていたのかはわからない。そしてそれが本音かどうかもわからない。そもそもショスタコーヴィチ自体が得体の知れない謎多き人物だったということもあり、作品については推測で語ることしか出来ない。なので、ここからは個人的に語ってみたいと思う。(いいよね)

第6番を作曲開始する頃のショスタコーヴィチは、人生の中では幸せな時期ではあったのかもしれない。国際的名声も得て、レニングラード音楽院教授にも昇進している。二人の小さい子供たちも最も愛おしいにいる【要確認】(※愛おしくそばにいる)。しかし粛清の嵐は身近な親族、知人などにも及んでいる。作品への葛藤もある。純粋には自分の求める音楽を作ることが出来なくなった。それよりいつも何時、粛清の的になるかもしれない、明日かもしれない。そして家族への思い。そんな心情を吐露した作品ではないかと思う。

第1楽章のゆっくりとした重く悲痛な音楽から始まり、第2、3楽章での速くて明るくなだれ込むように終わるこの曲は、一般的な交響曲とは違い、快活な開始楽章がない “あたまのない交響曲” と揶揄されている。しかしここで冒頭に戻るが、チャイコフスキーの「悲愴」と比較すれば、第1楽章と第3楽章は曲想としてそっくりである。当然 “第6番” として「悲愴」を意識しただけでなく、心情にも共通したものがあったに違いないと思う。

ただ、「悲愴」にあるはずの第4楽章がない。ショスタコーヴィチは最初から悲愴の第4楽章のような絶望的で死を感じさせる音楽を書くつもりがなかった。長大な第1楽章、そしてあっという間に駆け抜ける第2、3楽章。あまりにバランスを欠きながらもあえて第4楽章の省略を指示するように。第4楽章がないという “存在” を示すために。そしてそれがないということで将来への願い又は体制に対する警鐘として、内容ではなく形式というものの中に思いを込めて表現したのだと思う。それにしても、ないもので表現するなんてとても恐ろしい表現方法、そしてこの時代において最高の皮肉的表現なのかもしれない。

でも結局この曲はその後1948年のジダーノフ批判により、イデオロギー統制のもと形式主義批判の槍玉にあがってしまう。

【第1楽章】 Largo 生に対する衝動、苦悩を表現しているような2つの動機が絡み合いながら主題を構成する。途中様々な旋律によって次第に浄化され、最後は祈りのように消えてゆく。

【第2楽章】 Allegro 今その時の喜びを表したかのような音楽。時々グロテスクだが、幸せ以外は考えないようにしている感じがする。

【第3楽章】 Presto 無邪気な子供が飛び跳ねているかのよう。もしかしたら本当に自分の子供たちを見て、子供たちに対する将来への希望を表現したのかもしれない。

第1楽章はそれ自体で完結した音楽で、マーラーの交響曲第10番の第5楽章に通じるものを感じさせる。第2、3楽章は、ない第4楽章の前に存在しているかのように…あくまで能天気に純粋な喜びを…そうでなければ意味がないのではと思ってしまう。第4楽章がないということを示すために。

勝手なことを書いてきましたが最後に一言。演奏終了後、決して「悲愴」の第4楽章は思い出さないでね!

参考文献

・「ショスタコーヴィチ全作品解説」東洋書店
・「ショスタコーヴィチ ある生涯」アルファベータ

シベリウスのヴァイオリン協奏曲で独奏していただく、平光先生にお話を伺いました!

2014年4月20日


♪ 音楽はいつごろ始められたのですか。

父が音楽家で、作曲・指揮・ピアノをやっていた関係で、4歳からヴァイオリンを始めました。父がやっていなかった楽器がいいんじゃないかということと、おそらく父がオーケストラの指揮をするときに、息子と一緒に演奏できたらいいなという想いがあって、ヴァイオリンを選んだようです。


♪ 音楽家への道を志すようになったきっかけを教えてください。

高校の時に、レコードでカヴァレリア・ルスティカーナの間奏曲*を聴いて、その曲の美しさの虜になり、ヴァイオリンで弾いて再現したいと思いました。そのために、何回も耳で音を聴いて、一生懸命楽譜に書き出しました。寝る間も惜しんで、1週間くらいかけて、いろんな細部のこととか調整してアレンジし、やっと出来上がった楽譜を見て、自分がこんなに情熱を注げるものがあるんだなぁと思ってから、音楽に対して以前とは違う意識で向き合うようになりました。

プロとしての道を考え始めるようになったのは、愛知県立芸術大学に入ってからですね。大学に入って、先輩や友人と出会い、活動の範囲が広がって東京や関西に行ったり、優れたプレーヤーと一緒に演奏するといった経験を通して、どんどん面白くなっていきました。大学2年生の時からは、父が指揮するオーケストラでコンサートマスターをやらせてもらい、その時に、その責任の重さというものを感じ、自分はこの世界でやっていかなければならないんだと覚悟を決めたという感じですね。


♪ オーケストラや室内楽の奏者、指揮、トレーナーといった様々な活動をされていますね。

奏者という点で言えば、オーケストラと室内楽は、どちらも音楽を追求していく上で、欠かせないものですね。弦楽器をやっていて、その根本であるカルテットは、ライフワークとして外せないものです。指揮やトレーナーの活動には、大学時代の幅広い興味が生かされているのかなと思います。例えば、ヴァイオリンだとメロディーだけになってしまいますが、ベースラインや内声も好きですし、音楽の構成にも興味があります。興味があることはとりあえずやってみようという姿勢で、曲を書いたり、室内楽でヴィオラをやったり、大学院の1年生から芸祭オーケストラの指揮をやらせてもらったり、色々やっていました。そういった活動が、今の活動の中で、自然に生かされているのだと思います。


♪ 作曲もされているのですか。

曲を作ることは好きです。趣味みたいな感じですね。カルテットで何曲か弾いているもので、「おっさん舞曲集」というのがあります(現在7曲完成)。外国へ演奏旅行に行った時に、現地の民謡を8小節くらい覚えてメモし、カルテット用にアレンジしたものなんです。例えば、ザルツブルクで、現地のおじさんが、酔っ払いながらアコーディオンで面白いポルカのメロディーを演奏していたので、それを使って作曲し、題名は、「ザルツのおっさん」。他には、オリジナルでジプシー風の曲や、ピアノ用の小品、ヴァイオリン用のラプソディを作っています。


♪ シベリウスとの出会いは。

大学3年生の時、先輩の演奏しているシベリウスのヴァイオリン協奏曲を聴いたのが最初の出会いでした。第1楽章の第2テーマを聴いて、なんて魅力的なメロディーなんだろうと魅了され、ぜひ弾いてみたいと思い、4年生の定期演奏会で演奏しました。その時は1楽章だけだったのですが、今回は3楽章まで弾けるので、幸せなことだし、貴重な機会だと思っています。


♪ シベリウスの魅力と聞かせどころは。

シベリウスのヴァイオリン協奏曲は、難曲ですね。重音奏法が難しいですし、オクターブ奏法を多用しています。そういったテクニカルなヴィルトゥオーゾも聞かせどころなのですが、シベリウスが曲の中で表現しようとしていた、フィンランドならではの冷たさとか、でもそれに対するエスプレッシーヴォの感情とか、音の厚みとか深さ、曲自体の持っている精神性が、この曲の一番の魅力じゃないかなと思いますね。シベリウス独特のサウンド、ハーモニーに導かれた音楽の方向性に注目して聞いてほしいですね。僕も演奏するときには、その魅力を十分に打ち出せるように、取り組んでいきたいなと思っています。


── インタビューを終えて ──

音楽に対する想い以外にも、演奏活動の㊙エピソードなどもお聞かせいただきました。【要確認】「おっさん舞曲集」は、サロンコンサートなどで演奏されることもあるそうなので、ぜひ聞きに伺いたいです。お忙しい中、ありがとうございました。

*イタリアの作曲家マスカーニの歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」より「間奏曲」


ショスタコーヴィチの「二枚舌」高荻 泉

ショスタコーヴィチの第6交響曲がなぜあまり演奏されないのかについて「この曲が真実を表わしているから」と言ったのは指揮者のレナード・バーンスタインである。確かに代表作ともされる交響曲第5番と『レニングラード』と題された壮大な交響曲第7番に挟まれて、交響曲第6番はちょっと分が悪い。近年になってやっと演奏されるようにはなってきたものの、まだまだ演奏の機会は少ないといってよいだろう。しかし、この曲の成立にはショスタコーヴィチがソヴィエト社会の中でしたたかに生き抜く姿が見えてくる。

1934年、ショスタコーヴィチは満を持してオペラ『ムツェンスクのマクベス夫人』を発表する。レスコフ原作のこのオペラ、富裕な商人の妻、カテリーナが使用人と不倫の末に、義父と夫を殺害し、自らも破滅するという陰惨なお話である(2時間サスペンスみたいだね)。ショスタコーヴィチは、この原作を帝政ロシアにおける女性の解放や階級闘争の視点から描き、ドラマティックでスピーディな物語展開を軸に、多様な音楽手法を駆使し、今や20世紀を代表するオペラ作品の一つとなっている。初演から2年間で、レニングラードでは83回、モスクワでも97回もの公演が行われ、一般にも人気を博した。

しかし、1936年、この作品への評価が一変する。『プラウダ』に掲載された「音楽ならざる荒唐無稽」と題する無署名記事は、『マクベス夫人』を形式主義的、俗悪な自然主義に満ち、モラルにも欠ける作品として糾弾した。夢あふれる社会主義国家の建設を謳うソヴィエト政権にとってこの作品は容認できるものではなかった。ロシア文学者の亀山郁夫はこう述べている。「『プラウダ』の記事はソヴィエト楽壇の寵児ショスタコーヴィチを一夜にして『人民の敵』へ貶め、周辺にいる多くの作曲家を恐怖のどん底に突き落とした」。「人民の敵」が意味するもの、それは粛清であった。

『マクベス夫人』は舞台から引き揚げられ、練習まで始まっていた野心作、交響曲第4番の初演も中止を余儀なくされた。次作品が失敗すれば、よくてシベリア送り、下手すりゃ銃殺刑である。ここからショスタコーヴィチのしたたかな芸術活動が始まる。先の亀山はこれを「二枚舌」と述べているのだが。

1937年に作曲された交響曲第5番は、(様々な含意があるにせよ)作曲者自身が批評家の言葉を引用する形で「正当な批判に対するソヴィエト芸術家の実践的な作品による回答」と位置付けた。初演は成功し、党からも絶賛された。こうして窮地を脱したかに見えるショスタコーヴィチであるが、問題は次の交響曲である。ショスタコーヴィチは当初、ロシア革命の指導者レーニンを主題にした交響曲を書こうとしていた形跡があるのだが、出来上がった曲は表題もない独自の様式の作品となった。

冒頭のバーンスタインの言葉は、80年代に彼がヴィーンでショスタコーヴィチの6番を演奏した時のものである。彼はこの曲の第1楽章とチャイコフスキーの『悲愴』交響曲の終楽章との共通点を指摘し、これが当時のソ連社会の真実を描いたショスタコーヴィチの「音楽的告白」であると述べている。そして続く二つの楽章(バーンスタインによれば「一つは激しいタンバリンのファンダンゴ、もう一つはサーカスのバトンのリズムです」)は「真実を覆い隠すための偽善」なのだ。「カーニバルやファンダンゴ、みんな愛国者だ。それは言い換えた『偽善』なのです」というバーンスタインの言葉は傾聴に値する。

1939年に行われた第6交響曲の初演は必ずしも好評を持って迎えられたわけではなかったが、厳しい批判には至らなかった。作曲家の「二枚舌」が上手くいったわけだ。しかしまだ「雪融け」は遠く、ショスタコーヴィチはスターリニズムのテロルの嵐と、迫り来る独ソ戦の中で、生き抜いていかなければならなかった。

チラシ表
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