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第68回定期演奏会

2016年2月13日

愛知県芸術劇場コンサートホール

愛知県 名古屋市東区

サン=サーンス 交響曲 第3番「オルガン」
ドビュッシー 管弦楽のための映像より「イベリア」 
ラヴェル 道化師の朝の歌
指揮:海老原 光
オルガン:徳岡 めぐみ

曲紹介

サン=サーンス:交響曲 第3番「オルガン」

名オルガニストでもあったサン=サーンスは、パイプオルガンと共演できる名曲を残してくれました。静かに満ちる旋律を包み込むオルガンの和声、オーケストラが表現する色彩の移り変わり、そして最後は、喜びと充満に包まれ響きが一通となってホール全体を包みます!


ドビュッシー:管弦楽のための「映像」より「イベリア」

イベリアは、<街の道と田舎の道><夜の香り><祭りの日の朝>の3曲からなる、ドビュッシーの想像力によって描かれた作品です。スペインの賑やかな街の「昼」・静かな「夜」・活気に満ちたお祭りの「朝」の情景が、目に浮かんでくるようです。


ラヴェル:道化師の朝の歌

自作ピアノ曲からオーケストラ版に編曲された作品です。冒頭の弦楽器のピチカートとハープによる打楽器的な確かなリズムと共に始まると、一気に活気に満ちたスペイン情緒溢れる色彩豊かなファンタジーの世界へと誘われます。

指揮 海老原 光(えびはら ひかる)

Hikaru Ebihara

鹿児島生まれ。鹿児島ラ・サール中学校・高等学校、東京芸術大学を卒業、同大学院修了。その後、ハンガリー国立歌劇場にて研鑽を積む。指揮を小林研一郎、高関正光、コヴァーチ・ヤーノシュ、ユリウス・カールマー、ペシュコ・ゾルタン各氏に師事。2004年から2006年まで東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団指揮研究員を務め、飯守泰次郎、矢崎彦太郎両氏の薫陶を受ける。2007年ロブロ・フォン・マタチッチ国際指揮者コンクールで第3位、2009年ニコライ・マルコ国際指揮者コンクールで第6位入賞。2010年アントニオ・ペドロッティ国際指揮者コンクールでは審査員特別賞を受賞。2010年より東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団アソシエイト・コンダクターに就任(2015年9月30日まで)。これまでに、日本フィルハーモニー交響楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団、東京都交響楽団、東京交響楽団、東京フィルハーモニー交響楽団、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団、神奈川フィルハーモニー管弦楽団、群馬交響楽団、仙台フィルハーモニー管弦楽団、名古屋フィルハーモニー交響楽団、大阪交響楽団、関西フィルハーモニー管弦楽団、広島交響楽団、九州交響楽団、ほかを指揮し、客演を重ねる。2011年より毎年霧島国際音楽祭にも登場している。また、2012年に続き、2015年1月に再びクロアチア放送交響楽団の定期公演(ザグレブ)に出演し、現地で好評を博した。

オフィシャル・ホームページ:http://www.hikaru-ebihara.jp/


オルガニスト 徳岡めぐみ(とくおかめぐみ)

東京芸術大学音楽学部オルガン科卒業、同大学院音楽研究科修了。安宅賞受賞。ドイツ国立ハンブルク音楽大学を卒業。2001年オランダのアルクマールのシュニットガー国際オルガンコンクールで優勝、併せて聴衆者賞も獲得する。同年、ハンブルク音楽大学でDAAD賞を受賞し、受賞記念コンサートをハンブルクの聖ヤコビ教会で開催する。2002年北ドイツ放送(NDR)音楽賞国際オルガンコンクールで2位を受賞する。ヨーロッパではドイツを始め、オランダ、ベルギー、フランス、アイルランド、デンマーク、ルクセンブルクでコンサートを行う。現在、豊田市コンサートホールオルガニスト、東京芸術大学非常勤講師、東京音楽大学非常勤講師、片倉キリストの教会オルガニスト、国際基督教大学オルガニスト。

CDは「シューマン・ブラームスオルガン作品集」(ベルギー)のほか、2013年に「豊田市コンサートホールオルガン設置10周年記念」、「ベツレヘムに生まれし幼子ハンブルク聖ヤコピ教会アルプ・シュニットガー・オルガン」(ドイツ)をリリース。

名古屋シンフォニア管弦楽団について
Nagoya Sinfonia Orchestra
1982年に名古屋を中心に活動する音楽愛好家により結成されました。その後、地元名古屋はもちろんより全国各地から来た転勤者も多く加わり、現在では、約90名規模のオーケストラに成長しています。年2回の定期演奏会も中断することなく開催し続け、2012年に30周年を迎えることができました。
練習は原則として毎週日曜日に、厳しい中にも楽しく充実感を得られる内容を心がけています。また多くの先生方より、演奏技術、音楽論、さらに人生論(?)までご指導をいただきながら活動しております。舞台から溢れる音楽を愛する喜び、そういったものがお客様に伝わり共に楽しめるステージになれば幸いです。

ラヴェル 道化師の朝の歌

原題「Alborada del gracioso」は、邦題として「道化師の朝の歌」としているのが一般的でありますが、いまいち何を言っているのか分かりません。「Alborada」が「朝の歌」に、「gracioso」は「道化師」に対応しますが、そのままストレートに「(サーカスの)ピエロが、朝に歌を歌っている」というように解釈してしまうのはどうやら間違いのようです。CDの解説等で調べてみたところ、「彼女と一夜を過ごした伊達男が朝に帰るときの歌」ということらしいです(諸説あります)。原曲は1904年に、5曲の小品で構成されるピアノ組曲「鏡」の1曲として作曲されました。1918年にラヴェル自ら管弦楽版に編曲しています。スペイン風の軽やかなリズムと、色彩感あふれる響きのとても美しい曲です。

曲は、ハープと弦楽器のピッツィカートで奏でられる軽快なリズムから始まります。中間部ではファゴットによる道化師の語り、朝のけだるい雰囲気が表現されます。その後、再現部が展開され、コーダでは主要主題の断片が怒涛のように押し寄せ終結を迎えます。

この曲の聴きどころは、なんといってもこの曲の主役である道化師の歌(中間部のファゴット)でしょうか。その他、各楽器の特殊奏法がてんこ盛りなのも聴き逃せません。特に、管楽器のとても速いタンギング(フルート、トランペット、ホルン)や、フラッター奏法(木管楽器)等々にご注目ください。


ドビュッシー 管弦楽のための映像より「イベリア」 

◆音楽と色

しばしば音楽を表現するのに、「色鮮やか」という言葉が使われます。しかし、言うまでもなく、「色」とは目で見て感じるものです。ここでいう「色」とは何でしょうか?音楽で「色」という時、大きく分けて、2つの意味があります。

1つ目は、音楽が具体的なイメージを表していて、私たちがそれを想像することによって感じる色、2つ目は、音そのものの、多彩さのことです。

◆イベリアの情景

今回演奏する「イベリア」は、イベリア半島(スペインやポルトガルのある辺り)のことですが、曲中では様々な情景が表現されています。何と言っても、タイトルが「映像」ですから!

第一曲「街の道と田舎の道」では、地中海特有のカラッとした青空や濃い緑、あるいはアラビックな世界がめまぐるしく展開していきます。

第二曲「夜の薫り」では、一転して静かな夜の情景が描かれます。目を凝らさないと見えないかすかな動きや、ふっとした光が灯る瞬間をお見逃しなく。第三曲「祭りの朝の朝」では、第一曲、第二曲の情景とともに、まさに祭りの朝の喧騒が描かれています。せわしなく行き交う人、遠く、近く、聞こえてくる音楽。ドビュッシーの筆による、活き活きとしたイベリアの風景を御覧ください。

◆ドビュッシーの音楽と時代

ドビュッシーは、一般には「印象派」の作曲家と言われていますが、この「印象派」という言葉は、音楽についてのみ使われるものではなく、絵画や文学、彫刻なども含む、芸術における活動全般を中心とした行動を指す言葉として使われています。ドビュッシーは作曲家として非常に有名ですが、実は、詩作を行ったり、サロンに出入りして絵画や彫刻作品に触れたりなど、その活動は多岐にわたっており、まさに印象派のまっただ中で活躍した芸術家でした。こうした活動の中で、自身の作る作品の中に、他の芸術の要素を取り込んでいくこと、また、その結果として、音楽がさまざまな音色にあふれ、「色鮮やか」と言えるような多彩さを帯びたことは、実に自然なことであったろうと想像されます。

ところで、印象派の画家の用いた手法に、「点描」と呼ばれるものがあります。これは、直接絵の具をキャンバスの上に配置することで、鮮やかな色彩を表現する技法であり、人間が見ることによって初めて全体の色彩として意味を持つ、という意味で、「目の中で色を混ぜる」技法と言われています。ドビュッシーの音楽には、断片化された旋律や、あいまいな響きを持った和音が見られますが、これは予定調和的に進行する旋律や、物理的に響きあうことが説明できる和音とは一線を画すものです。これを私たちが美しいと感じるのは、「私たちが美しいと感じるから」以外には理由がありません。そういう意味で、ドビュッシーの音楽は、「人の心の中で響きあう音楽」ということができるでしょう。本日、みなさまの心の中で、音楽が響くことを願って、筆を置こうと思います。「管弦楽のための『映像』より『イベリア』」、どうぞ、お楽しみください。

参考文献 日本経済新聞社「ドビュッシー、音楽と美術―印象派と象徴派のあいだで」図録、2012年

サン=サーンス 交響曲 第3番「オルガン」

サン=サーンス様は…。なにしろ、賢い人であったらしい。「めっちゃ頭いいよね」というレベルではなく「もはや神**!」な賢さであった。2歳でピアノを弾き、3歳で作曲をしたと言われる。また、10歳で演奏会を開き、16歳で最初の交響曲を書いている。13歳でパリ音楽院に入学、22歳で当時のパリのオルガニストの最高峰といわれたマドレーヌ教会のオルガニストに就任する。57歳の年にはケンブリッジ大学から音楽博士の称号を贈られた。78歳で、最高勲章であるグラン・クロワも贈呈されている。アルジェリア旅行中に86歳の生涯を閉じた。葬儀は、その多大な功績に相応しく国葬で執り行われた。

交響曲第3番ハ短調作品78「オルガン」は、サン=サーンスの番号つきの交響曲としては3番目、番号なしを含めれば(2曲の未完成作品を除く)5番目の交響曲であり、この賢い人が力を注ぎまくった作品である。『神レベルに賢い』作曲家の作品は、凡庸な者には大変難曲である。演奏を聴く側には、なんともいえない揺れ感で不思議な心地よさをもたらすが、演奏する側には、緻密で確実な技術を要求され、心地よさなど味わっている余裕がない。「賢い人の作品はいいよね」ではなく、「賢すぎてわからない」に近くなっていくのである。

まず、楽譜の見た目が4楽章形式ではない。全体がⅠ部とⅡ部に分かれていて、それぞれ前半と後半で曲想が違うため、実質は4楽章である。きちんと演奏できれば、4楽章が浮き出てくる。楽譜に忠実であれとの声が聞こえそうだ。そして、リズム。少しずつ時間差が生まれるように書かれているため、演奏する側はなんとも不思議な違和感があるが、聴く側にはこれが何とも言えない揺らぎとなり、心地よく響くのである。行進の手と足が少し時間差で動いているようなもの。正確に少しずれる。賢い人が考えることは、難しい。各楽器がすべて確実に楽譜通りに演奏することで、輝くようにできている。そこに、ピアノが加わり、最後に「神の啓示」のオルガンが鳴り響く。

第Ⅰ部(前半)Adagio-Allegro moderatoハ短調-(後半)Poco adagio変ニ長調 前半は緩やかな導入部の後、弦楽による主題が現れ、穏やかな第2主題が続く。後半では、オルガンにのせて、弦楽によって主題が提示される。歌声のような管楽器のユニゾンから転調を経て、消え入るように終わる。

第Ⅱ部(前半)Allegro moderatoハ短調-Prestoハ長調-(後半)Maestoso-Allegroハ長調 弦楽器によるエネルギッシュな旋律で幕を開け、ピアノ連弾の華麗なプレストに続き、金管楽器の音が分厚く響き渡る。オルガンの和音により後半は開始され、力強く主題が鳴り響く。フーガへと展開した後、オルガンの響きとともにクライマックスを迎える。





指揮者インタビュー

今回、指揮をしていただく海老原先生にお話を伺いました。


---音楽はいつごろ始められたのですか。

母親が東京芸術大学出身で、クラリネットを鹿児島の自宅で教えていたので、生まれる前から家庭に音楽が溢れていました。このような環境の中にいましたので、当たり前のように音楽と触れ合ってきました。まずピアノを始めて、次はソルフェージュ。ピアノがある程度できるようになったら、ヴァイオリンを始めて、ジュニアオーケストラに入りました。でも、その時期に、いい塾の先生と出会って勉強が楽しくなって、ラ・サール中学校に進学したので、ここで1回音楽の道からは離れました。音楽はやらない、と思って、楽器はやめていました。


---では、再び音楽を始められたのは?

大学受験をする時に、やっぱり藝大に行って音楽をやりたいと思って、またピアノを始めました。藝大では楽理科に入ったので、演奏というよりは主に論文を書く方だったのですが、母の紹介で指揮のレッスンも受け始めました。ピアノを始めた時から指揮者になりたい、という思いはありましたし、実は母が僕を指揮者にしたいと思っていたんです。振り返ってみると、指揮者になるための経験や勉強、条件は全て揃っていました。大学院を出た時に指揮者になる決意をし、ハンガリーに留学しました。


---オーケストラと音楽を作り上げていくときに心掛けていることはありますか。

オーケストラと一緒に音楽を作るときは、楽器の都合、距離の都合、各パートのキャラクターの都合をどうまとめていくのか、ということに常に神経を配っています。そのためには、何かを無視して、何かに気づかなければならない。鈍感であることと、敏感であること、両方が要求されると思っています。オーケストラの中で聞こえてくるものと、指揮者に聞こえてくるものは全然違うこともある。いい指揮者は、オーケストラの中で、こう聞こえているんだろうなというのを想像し、それを棒で持って行き、結果として、音楽に集めることができる力を持っています。色々あったけど、あの指揮者が指揮台に立ったら上手くいったね、と言われるためには、テクニカル的にも、音楽的にも、人間的にも、何をすべきかを考えなくてはいけません。


---今回のプログラムについてお聞かせください。

前半のドビュッシー、ラヴェルは、スペインというイメージが豊かに湧く国をモチーフにした曲だから、リズムが切れ良く音楽が沈まないようにやることが、後半のサン=サーンスに活きてくる。サン=サーンスはドイツっぽい。彼はリストやワーグナーを尊敬していたので、音楽の書き方、響きもドイツっぽいんだけど、じゃあドイツっぽく演奏すればいいのかというと、そうでもない。だから、ドビュッシー、ラヴェルを経ることで、ちょっと普通アマチュアでやる演奏ではないサン=サーンスが、このプログラムの組み合わせからできるのではないか、という予感がしています。一般的に、C-dur(ハ長調)の響きは、重厚感があるドーンとしたイメージがあるかもしれませんが、実は、すごくピュアで、フレッシュな調性なんです。サン=サーンスの第2楽章の第2部、MaestosoのC-durは、全く新しいステージに上がりました、というイメージを、みんなと共有できるようにしたいですね。


---どのような演奏会にしたいとお考えですか。

大げさな言い方になっちゃうけど、聞きに来た方の人生が変わるような、そんな演奏をしたいといつも思っています。指揮者は音を出せない、音を出すのはオーケストラの皆さんだから、皆さんが人の人生を変えるためにはどういう演奏をしたらよいのか、練習する中で掴んで、表現できるようになってくれればいいなと思っています。


ラヴェルの「顔」 高萩 泉

モーリス・ラヴェルといえば、やはり「ボレロ」の作曲者としての印象が強い。

小太鼓が同じリズムを刻む中、シンプルなメロディが様々な楽器によって何回も繰り返される不思議な楽曲である。アメリカの詩人ベンジャミン・イヴリーの手になるラヴェルの評伝によれば、ラヴェル家の近所に住む大工さん、いつも蓄音機でこの曲をかけるのだが、最初の2枚しか(SPレコードです)かけなかったという。理由を聞くと「ほかのを聴くこたぁありませんや、だって同じことですもの」という答えが返ってきたとか。クロード・ルルーシュ監督の大作「愛と哀しみのボレロ」(1981)では、結末でジョルジュ・ドンがこの曲を踊るシーンが印象的だったが、実際にこの曲をやるとなると演奏者には凄いプレッシャーがかかるんだろうな。なにせ登場する楽器はほとんどソロ、リズムもメロディも変わらないだけに、少しでも音を外したりしようものなら、客にバレバレという恐ろしい曲なのである。批評家の鈴木淳史が上手いことを言っている。

「小太鼓がリズムを刻み始めた瞬間から、ホールは必ずや緊迫したものに包まれ、『ウチの会社に突然マルサが査察にやってきた』ような雰囲気になる」。鈴木も言及しているが、1979年のブレイク・エドゥーズ監督の手による傑作コメディ『テン』でもこの曲はずいぶんとおバカな使われ方をしていて実に効果的であった(興味のある方は映画を見てご自分の目で確かめてね(注:大人向きです))。

さて、『道化師の朝の歌』=もともとピアノ独奏のための組曲『鏡』の中の一曲として1904年頃に書かれた。曲名というタイトルについてラヴェル自身、シェークスピアの『ジュリアス・シーザー』を引用している。カシウスに自分の顔は見えるかと問われたプルートゥスがこう答える。「それはできないカシウス。なぜならば目はそれ自身が見えないからだ。見えるのは何か他のものに映った反映なのだ」。

組曲を構成する『蛾』『悲しげな鳥たち』『海原の小舟』『道化師の朝の歌』『鐘の谷』の5曲は、それぞれ当時ラヴェルの所属していた社交グループ「アパシュ」のメンバーに献呈されているが、先のイヴリーによれば、ナルシストの作曲者(つまりラヴェル自身)が友人たちの描写に重ねた自己投影を暗示しているという。「道化師」とは17世紀のスペインの芝居に登場する下品で猥雑で粗野なキャラクターである。わざと下品な仕草や台詞を放ち世間を風刺する。さて、イヴリーは「ラヴェルの友人の多くが信じるところによると」という但し書き付きだが、「道化師の朝の歌」の中で「ラヴェルは自らを道化師とも、恋愛物語の反英雄とも見立て、さらには鏡に映る逆像の異性愛を眺める外部の傍観者として描いた」と述べる。即ちラヴェルは表には出さないものの同性愛的嗜好を持っており、組曲『鏡』にはそうした意味が隠されているとする。イヴリーの著書では、このことはラヴェルの周囲の人々の証言から裏付けることができるとしており大変興味深い。

大著『死』(分厚い上にやたら難しい)でも知られる哲学者のヴラディミール・ジャンケレヴィッチも若い頃ラヴェルについての著作を残している。この著書はラヴェルの没後わずか2年後に書かれているが、その意味ではラヴェルと同時代の人間の証言ともいえる。彼はこんな言葉でラヴェルのことを評している。「ラヴェルはジキル博士のように二重人格ではなくて、『道化師の朝の歌』のアルルカン(道化役者)のように、いろいろの模様を描かれた風変わりな矛盾撞着する人間なのである。彼は茶化しているが、熱烈である。…そこには愛と諧謔との戯れがある。…情熱と理性の両方への中途で、永遠にさえぎられた雄弁…。フランス音楽は全部残らず『道化師の朝の歌』ではないのだろうか」。

凄いね。「フランス音楽全部」にまとめちゃったよ。

チラシ表
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