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第70回定期演奏会

2017年2月5日

愛知県芸術劇場コンサートホール

愛知県 名古屋市東区

マーラー 交響曲 第2番「復活」 
ヨハン・シュトラウスⅡ 皇帝円舞曲
指揮:新田ユリ
独唱:飯田 みち代 (ソプラノ)
三輪 陽子(アルト)合唱:名古屋市民コーラス

曲紹介

グスタフ・マーラー:交響曲第2番「復活」

マーラーの交響曲は大規模な編成で有名ですが、この2番も大規模な管弦楽に、ソプラノ・アルト独唱、混声合唱が加わり、5楽章で構成されています。交響曲の中に、教徒の美しさも併せ持ちながら、「人間の死と再生」というテーマを、時には大地を引き裂くような暴力で、時には素朴で穏やかな表情を見せながら、力強く崇高なクライマックスに向かって表現してゆきます。


ヨハン・シュトラウスⅡ:皇帝円舞曲

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサートでおなじみのヨハン・シュトラウスⅡは、数多くのウィンナ・ワルツを作曲し、「ワルツ王」と呼ばれています。皇帝円舞曲は、その中でも華麗で宮廷的な荘厳さを感じられる、堂々とした一曲です。

指揮 新田 ユリ(にった ゆり)

Conductor : YURI NITTA

国立音楽大学卒業後桐朋学園大学ディプロマコース指揮科に進む。指揮を尾高忠明、小澤征爾、秋山和慶、小松一彦各氏に師事。1990年第40回ブザンソン国際青年指揮者コンクールファイナリスト。
1991年東京国際音楽コンクール指揮部門第2位。1991年に東京交響楽団を指揮してデビュー。その後も国内主要オーケストラへ客演。東京佼成ウインドオーケストラ、大阪市音楽団と共演、録音、またシエナ・ウインド・オーケストラ、東京吹奏楽団にも客演。オペラでは、横浜シティオペラ、大田区民オペラ協議会でモーツァルトの5大オペラ、「夕鶴」などを指揮。

2000年10月~2001年10月、文化庁芸術家在外研修員としてフィンランドに派遣され、音楽監督オスモ・ヴァンスカ氏のもとラハティ交響楽団で研修。フィンランド国立歌劇場とサヴォンリンナ音楽祭においても、オスモ・ヴァンスカ氏のアシスタントを務める。これまでにクオピオ交響楽団、ミッケリ市管弦楽団、ヨエンスー市管弦楽団、フィンランド海軍吹奏楽団、フィンランド国防軍吹奏楽団、ラ・テンペスタ、クリスチャンサン交響楽団などフィンランドはじめ北欧諸国へ客演を続けている。

2005年~2007年オウルンサロ音楽祭へ招聘、2006年、2013年リエクサ・ブラスウィーク客演。
2005年9月にフィンランド日本友好協会よりラムステッド基金奨学金を授与される。
2006年、2007年には東京新聞フォーラム「指揮者がみたフィンランド」にて講演と演奏のプロデュース・指揮を務めた。2007年4月より2009年3月まで中日新聞「エンタ目」に月1度コラムを執筆。2008年6月、2010年7月にNHK「名曲探偵アマデウス」に出演。シベリウスの「フィンランディア」「交響曲第2番」を特集した番組の解説を務める。日本シベリウス協会会長。国立音楽大学、桐朋学園大学、相愛大学、同志社女子大学などで後進の指導に当たっている。2015年1月より、一般社団法人愛知室内オーケストラ常任指揮者。

日本シベリウス協会会長。一般社団法人愛知室内オーケストラ常任指揮者。

〇公式ホームページ『森と湖の詩』 http://www.yuri-muusikko.com


副指揮 佐伯正則(さえきまさのり)・百瀬太智(ももせたいち)
ソプラノ 飯田 みち代(いいだ みちよ)

京都大学教育学部教育心理学科卒業。飯塚新人音楽コンクール大賞他多くのコンクールで受賞、また、愛知県芸術文化選奨を受賞。「ルル」「アイナダマール」「メデア」などの難曲の日本初演を上演し、上演したオペラは芸術祭大賞、ミュージックペンクラブ賞などを受賞した。抜群の歌唱力、圧倒的な存在感、華やかで多層の女性像を魅力的に演出、「驚くべき才能」(音楽現代より)などと、絶賛されている。2015年音楽之友社のアンケートにより、世界のディーヴァベスト100に選ばれた。また、コンサート活動も活発で日本国内のみならず、イタリア・ドイツ・オーストリアにてリフレクトリサイタルや各種コンサートに出演している。


アルト 三輪 陽子(みわ ようこ)

愛知県立芸術大学音楽学部声楽専攻卒業。同大学院音楽研究科声楽専攻修了。

第5回日伊声楽コンクール最優秀新人賞。第5回国際ワーグナー歌唱コンクール派遣選考会国内オーディション最優秀賞と特別賞を受賞。

平成20年度野村文化財団海外派遣制度在外研修員としてイタリアとオーストリアに留学。

新国立劇場オペラ公演、演奏会等の客演多数。二期会会員。


名古屋市民コーラス

1959年に創立し、本年で創立58年となる。常任指揮者長谷順二先生のもと、オーケストラ付合唱曲に取り組んでいる。選曲から企画運営まで団員の話し合いで決定し、200名近くの団員が様々な役割を分担し団運営を行っている。定期演奏会を軸とし、愛知県合唱祭、名フィル「第九」に毎年出演するほか、様々な対外演奏会にも出演するなど幅広い活動を展開している。少人数によるアンサンブル活動も活発で、団内演奏会「アンサンブル・フェスティバル」は今年で20回を数える。

名古屋シンフォニア管弦楽団について
Nagoya Sinfonia Orchestra
1982年に愛知県内のアマチュア音楽有志によって結成され、年2回の定期演奏会を続け、2017年に35周年の節目の年を迎えました。名古屋を拠点とするアマチュアオーケストラとしては老舗の部類に入り、2003年には愛知県芸術文化賞を受賞しました。現在では、結成当時のメンバーから学生に至るまで、年齢も職業も様々な100名近くが集う大所帯となりました。
定期演奏会では、隠れた名曲や難曲、大編成の曲にも積極的に挑戦する特色ある選曲を心がけ、練習では指揮者はじめ経験豊富なプロの先生方からの熱心な指導の下、楽しくかつ真剣に音楽に取り組んでいます。私たちが演奏を楽しむだけでなく、お客様にも一緒に楽しんでいただけるような演奏会を目指して活動しています。

ヨハン・シュトラウスⅡ:皇帝円舞曲

この曲は、1889年、ベルリンに“皇帝”の冠名がついたコンサートホールが建てられ、そのこけら落とし公演で演奏するために作曲されました。当初、曲名は「手に手を取って(Hand in Hand)」と名付けられたようですが、出版時に今の曲名「皇帝円舞曲」に改められました。ベルリンで皇帝といえばもちろんドイツ皇帝を指しますが、こけら落とし公演にはドイツ皇帝とともに、作曲者ヨハン・シュトラウスⅡの出身国であるオーストリア皇帝も臨席することになっており、両国の親善を祝う意図があったようです。

ヨハン・シュトラウスⅡが暮らしていたウィーンは、多民族が多く共存していたことで、周辺国に比べナショナリズムを打ち出しにくく、政治的には混乱していた時期でした。それゆえ市民の関心は国家ではなく文化へと向かいました。画家クリムト、思想家(精神分析学者)フロイト、そして次に演奏するマーラーもウィーンで活動していました(マーラーが「復活」の第1楽章の元になる交響詩「葬礼」を作曲したのが1888年であり、この曲の作曲と同時期のことです)。

作曲当時、ヨハン・シュトラウスⅡは63歳でした。翌年の世論調査「世界で最も人気のある人は?」で、ヴィクトリア女王、ビスマルクとならび選出されるなど、その人気は自国のオーストリア皇帝を差し置き絶頂でした。父との確執を乗り越え、人生の集大成の段階を迎えていたヨハン・シュトラウスⅡに世界はどう見えていたのかを想像しながら聴くと、ポピュラーなこの曲も普段とは違って聴こえるかもしれません。

■曲構成
序奏-第1ワルツ(ハ長調)-第2ワルツ(変イ長調)-第3ワルツ(ハ長調)-第4ワルツ(ヘ長調)-コーダ

序奏は、行進曲風の曲調で遠くから段々近づいてくるような盛り上がりを見せます。その中に、早くも第1ワルツの旋律が現れます。チェロの独奏に導かれワルツへ。ここでは、4つのワルツが演奏されますが、序奏とは反対に行進曲風のワルツが登場するなど、作曲者の技が光ります。締めくくりに再度第1、第3ワルツが回想された後、しっとりとしたチェロの独奏が思い出に浸る時間を与えてくれます。最後は全体の強奏で締めくくられます。

■参考文献

・「ハブスブルク家と音楽 王宮に響く楽の音」渡辺護著(音楽之友社)

・「世界史B用語集」全国歴史教育研究協議会編(山川出版社)

・ウイキペディア:「世紀末ウィーン」のページ


マーラー:交響曲 第2番「復活」 

マーラー(1860~1911)は、作曲家として11曲(「大地の歌」及び未完成の第10番を含む)の交響曲を残した。このうち交響曲第2番は、声楽(独唱及び合唱)の導入、大規模な管弦楽、1時間20分に及ぶ長大な演奏時間といった特徴から、マーラーの交響曲の中でも屈指の大作として知られている。

この作品は「復活」という表題で親しまれているが、これはマーラー自身が与えたものではなく、第5楽章の合唱の歌詞に引用されたドイツの詩人クロプシュトックの讃美歌「復活」にちなんだものである。マーラーはこの詩に加筆し、次のようなマーラー自身の「復活」の思想を織り込んだ。

「人間はみな、苦悩のうちに生き、死んでいく。しかし、死の後には『復活』がおとずれ、生前の苦悩も意味あるものとして浄化される。ゆえに、死を恐れず『復活』を信じて生きるのだ」


第1楽章 ハ短調 4/4拍子 アレグロ・マエストーソ

完全にまじめでしかも荘厳な表出をもつ

マーラーはこの楽章を、自身の交響曲第1番で描いた主人公の「葬礼」であり、同時に「はるかの高みからの澄み切った回想」であると表現した。

複雑なソナタ形式の曲だが、全体を見渡せば、冒頭で低音弦によって提示される重苦しい第1主題(=葬送行進曲)と、その後ヴァイオリンにより提示される、天から差す光のような第2主題(=高みからの回想)という対照的な2つの情景が、交互に展開されるストーリーとなっている。


第2楽章 変イ長調 3/8拍子 アンダンテ・モデラート

きわめてゆったりと、しかし急がずに

第1楽章で葬られた主人公の「すぎ去った人生の幸福な瞬間」と「失われた幸福への悲しげな回想」を描いた楽章である。それぞれが、牧歌的な主部(冒頭の旋律)と、緊張感のある中間部に対応づけられている。曲の後半で、弦楽器のピチカートによって主部が再現される場面は、この楽章の聴きどころの一つ。


第3楽章 ハ短調 1/8拍子

おだやかに流れるように

歌曲集「少年の不思議な角笛」の中の「魚に説教するパドヴァの聖アントニウス」と同じ旋律が用いられている。歌曲の元となった詩は、聖アントニウスが魚たちに説教し、魚たちはそれをよく聞いたが、終わった途端に元の木阿弥だった、という皮肉な伝説にちなんだものである。

ティンパニの強打に始まり、魚のように動き回る高音弦と木管、低音弦のリズミカルなダンス、トランペットによる神の声が入り乱れ、混沌とした世界が繰り広げられる。熱狂が冷めた後、切れ間なく第4楽章に続く。


第4楽章 変ニ長調 4/4拍子「原光」

きわめて厳粛にしかし簡潔に

第3楽章と同様に、「少年の不思議な角笛」の中の歌曲「原光」が、この楽章の原曲となっている。アルト独唱はもちろん、冒頭の管楽器によるコラールや、天使が登場する場面の描写(ヴァイオリンソロの部分)など、オーケストラによる伴奏もこの楽章の聴きどころである。切れ間なく第5楽章に続いていく。


第5楽章 ヘ短調・変ホ長調 4/4拍子 スケルツォのテンポで

ソプラノ及びアルト独唱、合唱、オルガン、さらにバンダ(立体的な音響効果のため、舞台から離れた場所に配置された演奏者)が加わる。全体の構成からは、新約聖書の「ヨハネの黙示録」になぞらえてマーラー自身が描いた「復活」のシナリオを読み取ることができ、次のような章立てとなっている。

1.導入部

弦楽器の激しいトレモロの上に「恐怖のファンファーレ」が響きわたる。

2.提示部

「荒野に呼ばわるものの声により、最後の審判が告げられる」

「荒野に呼ばわるものの声」をあらわすバンダのホルンが響き、「最後の審判」が宣言される。大地の揺れをあらわす打楽器の長く強烈なクレッシェンドのあと、いよいよ「最後の審判」が始まる。

3.展開部

「大地は揺れ、墓は口を開き、死者は立ち上がり行進を始める」

「最後の審判」が始まり、世界は恐怖に包まれる。冒頭の「恐怖のファンファーレ」が再び登場し、恐怖が頂点に達した後、人びとの感覚は麻痺し、意識が消えうせるように静まりかえっていく。

4.再現部

「大いなる呼び声」

バンダのトランペットによる「啓示のラッパ」が彼方から響く。フルートとピッコロによる小鳥(夜鶯)の鳴き声が、この世の生命の最後のこだまのように響く。そして、静寂の中、合唱が復活を告げる-「よみがえる、そう、きみはよみがえる」と。そして、神の栄光が輝きわたる。(交響曲第2番最大の聴きどころであるこの「復活」の瞬間を、お聴き逃しなきよう!)


参考文献
・「作曲家別名曲解説ライブラリー1マーラー」音楽之友社編(音楽之友社)
・「マーラー交響曲のすべて」コンスタンティン・フローロス著(藤原書店)

歌詞対訳
4.Urlicht(原光)

O Röschen roth!
Der Mensch liegt in größter Noth!
Der Mensch liegt in größter Pein!
Je lieber möcht' ich im Himmel sein!
Da kam ich auf einen breiten Weg:
Da kam ein Engelein und wollt' mich abweisen.
Ach nein! Ich ließ mich nicht abweisen:
Ich bin von Gott und will wieder zu Gott!
Der liebe Gott wird mir ein Lichtchen geben,
Wird leuchten mir bis in das ewig Selig Leben!

-DES KNABEN WUNDERHORN

5.Aufersteh'n(復活)

Aufersteh'n, ja aufersteh'n wirst du,
Mein Staub, nach kurzer Ruh!
Unsterblich Leben
Wird der dich rief, dir geben.
Wieder aufzublüh'n wirst du gesät!

Der Herr der Ernte geht
Und sammelt Garben
Uns ein, die starben.

-FRIEDRICH KLOPSTOCK

O glaube, mein Herz, O glaube:
Es geht dir nichts verloren!
Dein ist, was du gesehnt!
Dein, was du geliebt, was du gestritten!
O glaube:
Du wardst nicht umsonst geboren!
Hast nicht umsonst gelebt, gelitten!

Was entstanden ist, das muß vergehen!
Was vergangen, auferstehen!

Hör' auf zu beben!
Bereite dich zu leben!

O Schmerz! Du All-durchdringer!
Dir bin ich entrungen!
O Tod! Du All-bezwinger!
Nun bist du bezwungen!

Mit Flügeln, die ich mir errungen,
In heißem Liebesstreben,
Werd' ich entschweben
Zum Licht, zu dem kein Aug' gedrungen!

Sterben werd' ich, um zu leben!

Aufersteh'n, ja aufersteh'n wirst du,
Mein Herz, in einem Nu!
Was du geschlagen,
Zu Gott wird es dich tragen!

-GUSTAV MAHLER


第4楽章「原初の光」

ああ、小さな赤いバラよ!
人は大いなる困難の中にいる。人は大いなる苦悩の中にいる。だからこそ私は天国にいたいのだ。私は一本の広い道の上をやってきた。そこで一人の天使がやって来て、私に引き下がるように命じた。いや、私は引き下がることはない。私は神のもとから出で、再び神のもとへ向かうのだ。
愛する神は私に小さな光を与えた。
それは私を永遠で幸福な生命の中で照らしだす。
-「子どもの不思議な角笛」


第5楽章

よみがえる、そう、きみはよみがえる。
私の塵よ、短い休息の後で!死ぬことのない生命を
きみを呼ぶものがきみに与えるのだ。
きみは種蒔かれ、再び豊かに花咲く。収穫の主が行き死すべきものの藁束である私たちを集める。
-フリードリヒ・クロプシュトック


信じよ、わが心、信じよ
きみにとって失うものはない。

きみの憧れたものはきみのもの。

きみが愛したもの、きみが戦ったものはきみのもの。

おお信じよ
きみは無駄に生まれてきたのではない!
苦しみ無駄に生たのではない!


生まれ出たものは消え去らなければならない!

過ぎ去ったものはよみがえるのだ!

震えおののくのをやめよ!
きみに生命がもたらされるのだ!


すべてに染み渡る苦痛よ!
私はきみから身を振りほどく!
おお、死よ!おまえはすべての征服者!

今や、おまえは征服された!
私は勝ち取った翼とともに、

熱い愛の想いの中へ、

私は舞い上がる。

光へ向かって、いかなるまなざしも届かないところへ、

生きるため私は死んでいく!


よみがえるのだ。そう、きみはよみがえる。
わが心よ、即座に!
きみが勝ち取ったものが
きみを神のもとへ運んでいく!

-グスタフ・マーラー  訳:高萩 泉

ヴィーンのリズム 高萩泉

「私には三重の意味で故郷がない。オーストリア人の中ではボヘミア人として、ドイツ人の中ではオーストリア人として、そして世界の中ではユダヤ人として」とマーラーは語っていた。彼について「マージナル・マン(境界人)」という社会学の概念を適用したのはマサチューセッツ大学のヘンリー・A・リーであるが、やはりマーラーはヴィーンの文化と切り離すことはできない。コリン・ウイルソンがマーラーを「ワルツやレントラー(オーストリアの民族舞踊)を好むウィーン風の作曲家」として、彼の音楽を「例えば、憂鬱感にも恍惚感にも、ヨハン・シュトラウス的あるいはレハール的な軽妙さが絶えず伴うのだ」と評したように、マーラーの音楽はこれらの音楽と関係浅からぬものがある。

マーラーの妻、アルマの回想録には、マーラー夫妻はレハールの『メリー・ウィドウ』を見に行ってワルツが気に入り、自宅に帰ってからピアノで弾いたり歌ったりしたという話が出てくる。ただ一箇所どうしても分からない節があり、ドプリンガー(ヴィーンの有名な楽譜屋ですね)へ出向いて、アルマが立ち読みで楽譜を覚えたそうな。マーラー自身も1894年、ハンブルクの市立歌劇場の監督時代に、シュトラウス2世の『こうもり』を劇場のレパートリーにしている。オペレッタやワルツ、ポルカなどで庶民に人気を博したシュトラウス2世は同時代の音楽家から高く評価された(ブラームスは『美しく青きドナウ』の楽譜に、「私の作品であればよかったのに!」と走り書きしている)。

マーラーが音楽院入学のためボヘミアからヴィーンへやってきたのは1875年、彼が15歳の時のことである。彼は後にライバッハ(現リュブリャーナ)の劇場に職を得るまでの6年間をヴィーンで過ごすことになる。初期の代表作『嘆きの歌』が作曲されたのはこの頃である。さて、1875年といえば、シュトラウス2世は50歳。宮廷舞踏会音楽監督として既に300曲以上のワルツやポルカを書き、まさに「ワルツ王」の名をほしいままにしていた。彼は劇場にも進出し、1874年にはアン・デア・ヴィーン劇場で『こうもり』が初演され大ヒットする。75年、いかさま錬金術師を題材とした新作オペレッタ『ヴィーンのカリオストロ』上演の折に『デア・フロー』紙の批評はこう書いている。「シュトラウスはインチキをしなくても純金を作ることのできる魔法使いである」。その後もシュトラウス2世はポルカ『狩り』やワルツ『南国のばら』など、人気作を次々と発表し、その創作活動は円熟期を迎えていた。

ライプツィヒ、ブダペスト、ハンブルクなどの歌劇場の監督を歴任したマーラーがヴィーン宮廷歌劇場の監督として再びヴィーンへ戻ってくるのは1897年のこと。この年、老境のシュトラウス2世は最後のオペレッタ『理性の女神』を初演するが、もはや新たな作品が生み出されることはほとんどなかった。音楽学者のエンドラーによれば、「燃え尽きてしまった」のである。しかし新作を求めるファンの声に応えて、ある新聞社がバレエの台本を賞金付きで公募し、その作曲をシュトラウスに委嘱する企画が持ち上がった。台本を審査したのはヴィーン宮廷歌劇場の監督マーラーその人であった。選ばれた台本は『シンデレラ』を翻案したものであったが、1899年のシュトラウスの死によって作品は未完に終わった。

グスタフ・マーラーも死の直前、ヴィーンのリズムに回帰する。完成した最後の交響曲となった交響曲第9番(1909)の第2楽章は、作曲者自身の手で「レントラーのテンポで」と指定されている。

チラシ表
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