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第72回定期演奏会

2018年2月18日

刈谷市総合文化センター 大ホール

愛知県 刈谷市

プロコフィエフ バレエ音楽「ロメオとジュリエット」より抜粋 
ショスタコーヴィチ 交響曲第9番 
ルイセンコ 「タラス・ブリバ」序曲
指揮:髙谷 光信

曲紹介

ルイセンコ:歌劇「タラス・ブルバ」序曲

勇猛なコサックの頭領を題材にしたゴーゴリの作品をウクライナの作曲家がオペラに仕立てました。その序曲にも、ポーランドとの戦いを思わせるドラマティックな旋律と情熱が溢れています。


ショスタコーヴィチ:交響曲第9番

1945年の終戦時に「勝利の交響曲」がたたえるよう政府から期待されたショスタコーヴィチが出した答えは……。やや短めで、軽妙な雰囲気や皮肉さえ感じられるこの曲、後に波紋を呼んだようです。


プロコフィエフ:バレエ「ロメオとジュリエット」

14歳に満たない少女の真心、そして両家の激しい争いと悲しい結末。シェイクスピアの有名なこの世界をバレエで表現するため、プロコフィエフは素晴らしい音楽を作り上げました。その絶大な作品から、今回はハイライト的に抜粋して演奏します。踊り出したくなるような、甘美でロマンティックな世界をお楽しみください。

指揮 高谷 光信(たかや みつのぶ)

京都市立堀川高等学校音楽科(現・京都堀川音楽高等学校)を経て大阪音楽大学音楽学部器楽学科卒業。キエフ国立チャイコフスキー音楽院指揮科首席卒業。また国家演奏家資格、ディプロマを最優秀の成績で取得。指揮を故小林一男、服部洋一、田中一嘉、渡邊一正、辻井清幸、V.プラコフ、故E.ドゥーシェンコ、N.スカーチに師事。

2003年、キエフ国立チャイコフスキー音楽院卒業時、ウクライナ・チェルニーヒフフィルハーモニー交響楽団に客演指揮者として招かれ、ウクライナにてプロデビューを果たす。同楽団指揮者(2003~2006)第2指揮者(2006~2012)を経て、2012.7より常任指揮者に就任。現在も定期演奏会、特別演奏会などで共演を続けている。

2017年3月在ウクライナ日本大使館後援事業〜ウクライナ日本外交25周年記念「ウクライナ・チェルニーヒフフィルハーモニー交響楽団特別演奏会」(2017.3.18/3.20)に出演する。日本からアンサンブルつるみ合唱団、ソリストも同行しTV・新聞にて大きな話題として報じられた。

現在までに東京フィルハーモニー交響楽団、Osaka Shion Wind Orchestra(旧大阪市音楽団)、大阪交響楽団、京都フィルハーモニー室内合奏団、兵庫芸術文化センター管弦楽団、セントラル愛知交響楽団、名古屋フィルハーモニー交響楽団、エレマン室内オーケストラ、瀬戸フィルハーモニー交響楽団、東京室内オーケストラ、愛知室内オーケストラ、エウフォニカ交響楽団、神戸市室内合奏団、ナゴヤディレクターズバンド、ブラスパラダイス大阪、キエフ音楽院管弦楽団、大阪芸術大学管弦楽団、名古屋芸術大学オーケストラなどを指揮。

《題名のない音楽会》(Osaka Shion Wind Orchestra 2014年11月23日放送)にTV出演。

  • 大阪芸術大学演奏学科客員準教授

  • 名古屋芸術大学音楽学部・同大学院非常勤講師

  • 武庫川女子大学音楽学部非常勤講師

  • 京都市立芸術大学音楽学部指揮専攻実技指導員助手

  • ウクライナ・チェルニーヒフフィルハーモニー交響楽団常任指揮者

  • 第16回京都府文化賞「奨励賞」受賞。

  • 2012年「チェルニーヒフ州文化功労賞」受賞。Officialウェブサイト:http://m-takaya.com/

第72回定期演奏会に寄せて - 指揮者 高谷光信

名古屋シンフォニア管弦楽団には2度目の登壇となり、大変嬉しく思います。

本日のプログラムのうち、特にM.ルイセンコ作曲の歌劇「タラス・ブリバ」序曲は、日本においては演奏機会が殆んどない作品と言えます。彼はウクライナを代表する作曲家であり、ウクライナ民族音楽及び民族楽器を徹底的に研究しました。彼が残した功績は大きく、今なおそれら全ての系譜はウクライナで音楽家を志す人たちの指針とされています。N.ゴーゴリの小説《タラス・ブリバ》に登場するブリバは17世紀に実在したウクライナ・コサックの隊長であり、この人物がいなければ今のウクライナは存在していなかったと現在も国民から崇拝されています。

そして、ウクライナではこの序曲は幾度となく演奏されます。しかし、私のオーケストラのニコライ音楽監督は「この曲だけは、ウクライナ人が指揮するべきだ」と言い、志願するも17年間一度も許してくれませんでした。憧れだけで指揮できる作品ではないからです。

今回この作品を初めて指揮するにあたり、ウクライナでのエピソードを一つご紹介いたします。この曲が終わった時、お客様の反応は普通に「ブラヴォー」とはなりません。熱狂的な叫び声と歓声が続くのです。そして、そのあと稲妻のように拍手がくるのです。「これぞ民族音楽なのだ。」と感じずにはいられません。彼らウクライナ人の心を真に表しているからなのでしょう。日本人の私に振ることを許さなかった理由を今ではよく理解しています。

今なおウクライナとロシアは戦時であります。少しでも早く両国が友好を結び、音楽が語るように歴史や民族の誇りを賞賛しあえる関係になって欲しいと願わずにはいられません。ショスタコーヴィチ、プロコフィエフ、そしてルイセンコも天上から同じことを願っているに違いないのですから。

名古屋シンフォニア管弦楽団について
1982年に愛知県内のアマチュア音楽有志によって結成され、年2回の定期演奏会を続け、2017年に35周年の節目の年を迎えました。名古屋を拠点とするアマチュアオーケストラとしては老舗の部類に入り、2003年には愛知県芸術文化賞を受賞しました。現在では、結成当時のメンバーから学生に至るまで、年齢も職業も様々な100名近くが集う大所帯となりました。
定期演奏会では、隠れた名曲や難曲、大編成の曲にも積極的に挑戦する特色ある選曲を心がけ、練習では指揮者はじめ経験豊富なプロの先生方からの熱心な指導の下、楽しくかつ真剣に音楽に取り組んでいます。私たちが演奏を楽しむだけでなく、お客様にも一緒に楽しんでいただけるような演奏会を目指して活動しています。

ルイセンコ:歌劇「タラス・ブリバ」序曲

ルイセンコはウクライナ生まれの作曲家で、ピアノの名手でもあった。彼の音楽は、祖国ウクライナへの愛国的精神に溢れている。


ルイセンコは子供の頃、ウクライナ農民の歌う民謡に深い感銘を受けた。当初は大学で自然科学を専攻したが、その後ライプツィヒ音楽院で音楽の研究に打ち込む。「西側の作曲家の模倣ではなく、ウクライナの音楽を集め、発展させ、創造することが重要だ」。音楽院で彼はそんな思いを強くした。自らの祖国愛を音楽によって表現するべく、ウクライナの詩に曲をつけたり、祖国の民謡を収集、出版することに精力を傾けたのだった。


歌劇『タラス・ブリバ』の原作はゴーゴリの小説で、コサックの族長タラス・ブリバの英雄的・悲劇的な生き様を描いた作品。ルイセンコはこのオペラを1891年に完成させた。ところが当時の帝政ロシアの統治下においては、歌詞がウクライナ語であるという理由から、この作品はウクライナ以外での上演が許されなかった。チャイコフスキーはこの作品に感銘を受け、モスクワ公演の実現に努めたものの、ルイセンコがロシア語歌詞での上演を許可しなかったため実現しなかった。祖国への思いから発した彼の音楽は、当時の政治的情勢下においては、皮肉にもそのナショナリズム的側面によって、日の目を見ない結果となったのであった。


ともあれ、現在ではウクライナオペラにおける重要な作品として評価されている。本日演奏する序曲は、荘厳な幕明け、哀愁を帯びた旋律、コサックの戦いが目に浮かぶ勇敢なテーマ等々、ドラマチックに移り変わる。オペラの魅力が凝縮された1曲をお楽しみ頂ければ幸いである。

ショスタコーヴィチ:交響曲第9番作品70

ショスタコーヴィチは生涯に15曲もの交響曲を残した。このうち、第7番・第8番・第9番の3曲は第二次世界大戦中に書かれており、俗に「戦争三部作」と呼ばれている。彼が交響曲第9番の創作に取り掛かったのは1945年。大戦におけるソ連の勝利が確実なものとなった情勢下においてであった。かつての大作曲家たちの「第九」に比肩するような大曲、戦勝を祝す記念碑的な大規模交響曲が、世間、とりわけソ連指導部から期待されていた。


しかし、ショスタコーヴィチは周囲の思惑をよそに、軽妙洒脱なディヴェルティメントによって期待の声に応えたのである。結果、音楽界では曲の評価は真っ二つに分かれた。何よりスターリンの逆鱗に触れることとなり、国内では事実上無視された格好となったのだった。


ここまではよく知られた事実であるが、この交響曲の終楽章の主題にユダヤ民謡のパロディが使われていることは特筆すべき事項であろう。当時、独ソ戦を契機に熱狂的な愛国心が高まっていたが、これがスターリンの資本主義・自由主義に対する不信感と相まって、反シオニズム・反ユダヤ主義へと結びついていった。後のスターリン時代末期には、ソ連当局が画策した反ユダヤキャンペーンが巻き起こっている。


一方、この頃のショスタコーヴィチはユダヤ民族音楽への審美的な高い関心を抱いていた。実際、1948年にはユダヤ民族というテーマに真正面から向き合った歌曲集「ユダヤの民族詩より」を発表している。ユダヤ人を目の敵にする「偉大なる指導者」の思惑を巧みにかわす形でショスタコーヴィチが書き上げたのは、ナチス=ドイツのホロコーストの恐怖から解放され、新たな地平に踏み出したユダヤ民族にとっての勝利の交響曲だったのかも知れない。


第1楽章:Allegro

伝統的なソナタ形式。ディヴェルティメント風の明快な第1主題、ピッコロが奏でる第2主題ともに飄々とした雰囲気を持っている。


第2楽章:Moderato

抒情的で繊細な3部形式の緩徐楽章。主要主題をまずクラリネットが提示する。中間部では弦楽器が重い足取りで半音ずつ揺れ動き、ホルンと木管がそれに覆い被さるように静かに山を築いていく。主要主題はフルートとピッコロに受け継がれ、静寂の中で楽章を終える。


第3楽章:Presto

クラリネットの躍動的な主題で始まるスケルツォ。中間部はトランペットを始めとした金管によりエネルギッシュなテーマが歌われる。冒頭の主題が再現されるが、次第に推進力を失っていきアタッカで第4楽章に突入する。


第4楽章:Largo

フィナーレの前奏曲的な位置づけとなっている。トロンボーンとチューバによる荘厳なファンファーレと、ファゴットの哀切極まりないソロとが交互に現れる。なお、ショスタコーヴィチは様々な曲でファゴットに名ソロを与えているが、その中でもこのソロは屈指の旋律と言える。


第5楽章:Allegretto

フィナーレはロンド・ソナタ形式による。ファゴットが歌い出すロンド主題と、いくつかの挿入された旋律が互いに絡み合い、勢いを増しながら進んでいく。トゥッティでロンド主題が回帰してきて盛り上がりは最高潮を迎える。コーダは聞き手を茶化すような掛け合いが続き、一気呵成に駆け抜けて終わる。


音楽への純粋な審美眼、悪戯心と批判精神が交じり合ったアイロニー。嬉遊的な小品の中に込めたショスタコーヴィチの面白さをお伝えできれば幸いである。

プロコフィエフ:バレエ「ロメオとジュリエット」作品64より

この作品は、シェイクスピアの戯曲『ロメオとジュリエット』を、ロシアの作曲家プロコフィエフが自作のバレエにリメイクし作曲したものです。お話はご存知の通り、中世イタリア・ヴェローナを舞台に、敵対する名門モンタギュー家とキャピュレット家に生まれたロメオとジュリエットの悲劇のラブストーリー。


プロコフィエフがこの曲を作曲したのは、1935年44歳の時。ロシア革命後15年に渡る亡命生活を経て、祖国に戻った時期です。それまでの前衛的な作風に飽き、シンプルでロマンチックな表現を模索するなかで出会ったのがシェイクスピアの『ロメオとジュリエット』。家や社会のしがらみを超えて、個人の自由を謳う人道主義的ストーリーに強く感銘を受けたプロコフィエフは、全52曲からなるバレエ音楽に書き上げました。当初上演を見送られるなどの紆余曲折があったものの、初演は大成功をおさめました。新たな作風に手ごたえを掴み、その後のバレエ組曲『シンデレラ』や交響曲第5番などの名作へとつながりました。今回は、全52曲の中から13曲を抜粋して演奏します。それぞれの場面を想像しながらお聞きください。


第1曲「第1幕・前奏曲」なんの憂いもないふたりの描写から始まります。

第10曲「少女ジュリエット」天真爛漫なジュリエットの様々な表情


…今宵はキャピュレット家の舞踏会。ロメオとジュリエットは出会います。…


第15曲「マーキュシオ」マーキュシオはロメオの親友。ロメオとともに舞踏会に忍び込み、陽気に踊り回ります。

第19曲「バルコニーの情景」舞踏会は終わり、月に照らされるバルコニー。ジュリエットは「ああロメオ、あなたはなぜロメオなの」と月に語りかけます。物陰にはジュリエット会いたさに忍び込んだロメオが。

第20曲「ロメオのバリエーション」あふれんばかりの喜びでもって踊るロメオ

第21曲「ロメオとジュリエットの愛の踊り」ふたりの愛が最高潮に達したこの物語でもっとも幸せなシーン


第30曲「民衆のお祭り騒ぎ」舞踏会の翌朝町の広場の賑わい


…マーキュシオ、キャピュレット家のティボルトに広場で出くわし決闘に。そしてティボルトの刃に倒れる…


第35曲「マーキュシオの死に復讐を決心するロメオ」熾烈な剣の応酬。そしてロメオは復讐を果たす。

第36曲「第2幕・終曲ティボルトの死」悲しみにくれるキャピュレット家


第37曲「第3幕・前奏曲」大公、ティボルトの死の裁きとして、ロメオの追放を宣言


…ジュリエット、僧ロレンスの元に訪れ、悲しみを訴える。ロレンスはジュリエットに一時的に仮死状態になる眠り薬を手渡し、眠りから覚めたロメオと再会できるように計画するが…


第46曲「ジュリエットの寝室」ロメオの追放に揺れるジュリエットの心情

第51曲「ジュリエットの葬式」眠り薬により仮死となったジュリエット。先祖代々の墓に安置される。手違いから計画とは知らず、ひそかに墓地へ駆けつけるロメオ。ジュリエットの死を信じ、その側で毒をあおる。

第52曲「ジュリエットの死」眠りから覚めたジュリエット。傍らにはロメオの亡骸が。ロメオの短剣を抜き、折り重なるように死をとげる。


20世紀屈指のバレエの名作と言われるこの作品ですが、初演には時間がかかりました。風変わりな音楽との理由で、ボリショイ劇場をはじめとする名だたる劇場での上演が見送られ、祖国ソ連での初演は作品が完成してから4年後のことでした。


今では世界のバレエ団の主要なレパートリーとして、毎年様々な演出で上演されています。特にラストシーンは、ロメオが亡くなる直前にジュリエットが目覚めて再会できるというものから、目覚めたジュリエットがロメオの亡骸に呆然とするものまで、演出家によって解釈はさまざまです。みなさんの解釈はいかがでしょうか。

地図から消えた国・ウクライナ・ 高荻泉


「コサック」といえばテンポの速い楽曲に乗って飛び跳ねるように踊るコサックダンスや、毛皮の帽子をかぶった騎兵がバラライカみたいな楽器を爪弾いている光景なんかを連想するのは筆者だけだろうか。しかし、そもそも、「コサック」とはどんな人たちなのか。


「コサック」とは民族の概念ではなく、東ヨーロッパからロシア西部にかけてのステップに15世紀頃から点在した共同体のことを指す。もともとはロシアでの農奴制強化に伴い逃亡してきた人々が多いようだが、様々な民族によって構成されていた。当初彼らは狩猟や牧畜・交易などを生業として共同生活をしていたが、やがて武装し軍事的な集団を形成するようになる。コサックは大きく二つの系統に分かれ、ドン川周辺に定着したコサックは次第にロシアへの従属を強め、一方ドニプロ川周辺に定着した人々はウクライナ・コサックとしてポーランド・リトアニア連合国との関係を深めることになった。ウクライナ出身のゴーゴリの歴史小説を原作としたルイセンコの歌劇『タラス・ブリバ』はこちらのウクライナ・コサックのお話である。


ウクライナは16世紀から17世紀にかけてポーランド・リトアニア連合国の支配下にあった。ポーランド・リトアニアはコサックの強力な軍事力に目を付け、周辺諸国やヨーロッパ進攻を図るオスマン・トルコ帝国の勢力との戦争に利用するようになる。しかし17世紀前半になるとウクライナ・コサックの人々は権利や自治の拡大を求め、ポーランド・リトアニアに対し何度も反乱を起こすようになった。中でも最大のものが1648年に起こったボグダン・フメリニッキー(フメリヌイーツイフィイ)の反乱であった。これにより、コサックは一時ウクライナに自治国家を樹立するのである。この出来事をウクライナ民族解放戦争と位置付けることもある。これがゴーゴリの『タラス・ブリバ』のモデルになったことは想像に難くない。


この戦争はポーランド・リトアニアの衰退を招いたが、皮肉なことにロシアの強大化につながることになった。その後ロシアは領土を拡大し、ポーランド分割やロシア・トルコ戦争などを経て、18世紀後半エカチェリーナ2世の時代には、ウクライナの大部分がロシア帝国の支配下に入るのである。


帝政ロシアの下で、ウクライナは小ロシアと呼ばれロシア化が進む。政治的にロシアに支配され、多くのロシア人が流れ込み、公的な言語としてロシア語が使用される。そんな中タラス・シェフチェンコ(1814-61)のようなウクライナ語で創作を行う文学者も現れている。こうした人々の存在はウクライナ民族主義の大きなよりどころとなった。


その後、第一次世界大戦や1917年のロシア革命の折にもウクライナでは独立運動が活発化するのだが、新しいソヴィエト政府による弾圧で挫折を余儀なくされる。ソヴィエト政権下でも農業集団化の失敗による飢饉や、第二次世界大戦では独ソ戦の戦場になるなどウクライナの苦難は続いた。1986年4月に大規模な事故を起こしたチェルノブイリ原発もウクライナである。ウクライナ大使を務めた黒川祐次によれば、この事故の時のソ連政府の隠蔽体質がウクライナ人のソ連体制への不信感の高まりのきっかけとなったという。1991年、ソヴィエト連邦の崩壊に前後して、ウクライナはついに独立宣言を行い、再び国家としてウクライナの名称を地図に刻んだ。


しかし今日でも東部に多い親ロシア派の勢力と親欧米派の勢力との間では対立が続く。2014年には親ロシア派のヤヌコーヴィチ大統領が市民運動で追われロシアに逃亡する。一方で親ロシア派住民の多いクリミアが、ウクライナからの独立とロシアへの編入を決議し世界を驚かせたことは記憶に新しい。

チラシ表
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