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第76回定期演奏会

2020年1月5日

愛知県芸術劇場コンサートホール

愛知県 名古屋市東区

チャイコフスキー 交響曲第1番《冬の日の幻想》 
ハチャトリアン 組曲「仮面舞踏会」 
グラズノフ 祝典序曲

指揮:高橋 隆元

曲紹介

グラズノフ作曲 祝典序曲

今回のオープニングを飾るのは、新年の始まりを祝うかのような華やかさに満ちたこの曲です。ロシア国民楽派のグラズノフによる情緒豊かな旋律を織り交ぜながら、ワクワクするような躍動感をもって進んでいきます。


ハチャトゥリアン作曲 組曲「仮面舞踏会」

この「仮面舞踏会」は(ヴェルディのそれとは全く異なり)、夫が自慢の妻の不倫を疑った挙句、とうとう妻を…という衝撃的なストーリーの音楽劇。この組曲はその中から抜粋の5曲を集めたもので、特に1曲目のワルツはよく知られています。その他、艶めかしい曲や哀愁を帯びた曲など、実に多彩です。アルメニア人の作曲家ハチャトゥリアンによる濃厚な異国情緒あふれる名の名曲をどうぞお楽しみください。


チャイコフスキー作曲 交響曲 第1番《冬の日の幻想》

ロシアを代表する作曲家チャイコフスキーは、26歳で最初の交響曲を作りました。「冬の日の幻想」という魅力的なタイトルは、「冬の旅の幻想」を表す第1楽章に由来するものですが、冒頭からロシアの大地の風景が目に浮かぶようです。若さゆえの緊張感や素朴さが垣間見られる中、第2楽章の暖かい旋律など、屈指のメロディーメーカーとしての才能がすでに発揮されています。そして辿り着いたフィナーレでは熱さも吹き飛びます。演奏機会の少ない曲ですのでお聴き逃しなく!

指揮 高橋 隆元(たかはし りゅうげん)

15歳頃より独学でピアノ及び音楽理論・作曲などを学ぶ。

国立音楽大学ピアノ指導科に入学、この頃より指揮活動を始める。

卒業後は法律の仕事の傍ら指揮活動を続けていたが、31歳の頃より本格的に指揮の勉強を始める。

指揮をクルト・レーデル、高階正光、湯浅勇治(年順)の各氏に師事。

東京指揮研究会会員。

1999年、日独倶楽部主催の指揮者講習会において優秀賞受賞、同年ウィーンで行われた「指揮マスターコース」に選ばれ参加、ディプロム獲得。

2000年3月30日に三鷹市芸術文化センターで行われたドイツ連邦共和国大使館後援のシンフォニッシュ・アカデミー・トーキョー「ベートーヴェン交響曲連続演奏会」で交響曲第2番、第4番、その他を演奏し、好評を博す。

同年8月、ハンガリーのブダペストでおこなわれた クルト・レーデル国際指揮者コンクールにおいて第3位受賞。受賞記念コンサートにおいてプロコフィエフの古典交響曲を指揮した。

9月にはハンガリーのブダペストホールでの演奏会に客演、ドナウ川交響楽団を指揮し好評を得る。

クルト・レーデル氏からの要望により、氏の著書である「指揮のテクニック」(音楽之友社)のフォーモデルに選ばれる。

1998年より9年間にわたり武蔵野室内アンサンブルの常任指揮者を務めた他、20余団体で指揮、またオペラの分野では東京シティオペラ協会においてモーツァルト「魔笛」、ヴェルディ「リゴレット」、プッチーニ「ラ・ボエーム」、等のアシスタントを務める。

2009年より5年間 聖光学院中学校高等学校合唱部、2010年より6年間 三鷹市管弦楽団音楽監督にそれぞれ就任するなど、当楽団の発展に寄与している。

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グラズノフ:祝典序曲 作品73

日本のみなさん、こんにちは。グラズノフです。え、私のことを知らない人がいる?1865年にサンクトペテルブルグで生まれ、10代から作曲の才能を発揮し、後にチャイコフスキーの後継者とも言われ、ペテルブルグ音楽院の院長まで務めたのに、いまいち知名度が低い?チャイコさんより多くの交響曲(完成したものは8曲)を残しているし、チャイコさんみたいに美しいメロディー満載のバレエ音楽(「四季」、「ライモンダ」)も作曲してるから是非聴いてみてね。

あ、まずはこの序曲だね。作曲は1900年、当時私が指揮をしていたサンクトペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団に献呈したんだよ。「荘厳な序曲」というのが本来の意味で、堂々とした中にも私の得意とするファンタジックな旋律が光る逸品なんだ。メロディアスで魅力的な主題が繰り返されながら、いろいろな楽器に移り広がり、次第に力強さを増して、華やかなフィナーレに至る…ああ、新しい年の幕開けにぴったりだね。

ロシア・ロマン派の正統派シンフォニストだった私は、晩年、プロコフィエフやショスタコーヴィチたちが起こした変革の波に乗れなかったのかもしれない。でも、76回目にして初めて私の作品をプログラムに入れてくれた名古屋シンフォニアはきっと私の想いを伝えてくれるだろう。音符が多すぎるとかヘトヘトになるとか言ってないで私の知名度アップのためにも頑張ってくれたまえ。

ハチャトリアン:組曲「仮面舞踏会」

アラム・イリイチ・ハチャトリアン(1903~1978年)は、グルジア(現ジョージア)で、アルメニア人の家庭に生まれ、母の歌うアルメニアやアゼルバイジャンの民謡に親しみながら育った。医師を目指してモスクワ総合大学に進学したが、モスクワ音楽院の演奏会でラフマニノフのピアノ協奏曲第2番などを聴き、音楽家になることを決意したという。18歳までは楽譜も読めなかった青年は、グネーシン音楽専門学校で正規の音楽教育を初めて受け、その後、モスクワ音楽院に進んだ。1937年に作曲したピアノ協奏曲で世界的にブレイクし、以降、ヴァイオリン協奏曲、バレエ音楽「ガイーヌ」、「スパルタクス」などの傑作を次々と世に送り出した。旧ソ連時代の音楽界の巨人である。

名古屋とも縁がある。1963年の初来日では、名古屋にも来て読売日本交響楽団を指揮して自作曲を演奏しているのだ。また1976年の再来日は急病でドタキャンとなったが、このときも名古屋で指揮するはずであった。「ハチャトウリヤン歓迎大音楽会」と銘打たれた演奏会のために、750名もの大合唱団が編成されていたという。もしかしたら、年輩のお客様の中には、そのときの幻の合唱団のメンバーだった方がおられるかもしれない。

* * *

「仮面舞踏会」とは、「SHYな言い訳 仮面でかくして 踊ろ踊ろ かりそめの一夜を」(★)という、何ともムフフなイベントである。ミハイル・レールモントフ(1814~1841年)の戯曲「仮面舞踏会」は、19世紀の帝政ロシアの貴族社会が舞台。仮面舞踏会で腕輪をなくした妻ニーナが浮気をしていると誤解した賭博師エフゲニー・アルベーニンが、遂にはニーナを毒殺してしまう、という話だ。

ハチャトリアンは1941年、モスクワのヴァフタンゴフ劇場のために、この戯曲の音楽14曲を書いた。本日演奏するのは、この中から作曲者自身が選んだ5曲からなる「組曲」である。なお、5曲の曲順は、劇のストーリーには沿っていない。

1.ワルツ Waltz

「新しいワルツの、なんて素敵なこと。不思議な憧れにかられて、胸がきゅっと締めつけられて…」。舞踏会から帰宅したニーナはそう回想する。舞踏会で食べたアイスクリームに、夫エフゲニーが毒を入れていたとも知らずに…。

この曲が劇中で重要な意味を持つと考えたハチャトリアンは、「最も心を砕いて作った」と後に語っている。本日の指揮者・高橋先生からは「情念、怨念のようなものを音楽に込めてほしい」との注文があった。「昔フラれたあの人」を思い出しながら演奏している団員も多い。

2.ノクターン Nocturne

夜想曲。夜の音楽である。安堵、孤独、不安、愛、哀しみなどさまざまな想いが入り混じったこの曲では、当団コンサートマスターのソロが冴えわたる。

3.マズルカ Mazurka

マズルカはポーランドの民族舞踊。華やかな舞踏会を彷彿とさせる曲だが、仮面の裏に隠された虚しさ、哀しさも垣間見える。

4.ロマンス Romance

ニーナが、舞踏会の客に求められて「悲しみが われ知らず一筋の涙となり…」と歌い出したのがこの曲。この後の自分の運命を、彼女はまだ知らない…。

5.ギャロップ Galop

悲劇にはおおよそ不似合いな、皮肉も交じった軽快な曲。ハチャトリアンは、調子っぱずれなこの曲を最後に置いて、それまでに溜まった「ドロドロとしたもの」を「解毒」しようとしたのではないか、というのがマエストロ高橋の解釈だ。本日の演奏後は、このデトックス効果により、皆様のお肌もツヤとハリを取り戻しているはずである。

* * *

俳優の演技や劇の流れを損なわないように作ったのだろうか、5曲とも曲の構造はシンプルだ。彼の他の作品で聴かれる「魔性のリズム」(*)も、あえて封印したのかもしれない。にもかかわらず、耳に残るメロディに印象的な和音を絡めて、さまざまな情感を紡ぎだしているのはさすがである。

(*)「仮面舞踏会」(作詞:ちあき哲也 歌:少年隊)より引用

参考文献:「剣の舞 ハチャトウリヤン師の追憶と足跡」(寺原伸夫著 東京音楽社)、組曲「仮面舞踏会」ポケットスコア(全音楽譜出版社)、「革命と音楽 ロシア・ソヴィエト音楽文化史」(伸藤恵子著 音楽之友社)


チャイコフスキー:交響曲第1番 ト短調 作品13「冬の日の幻想」

「ピョートル、何だねこの展開部は。わけがわからん、書き直したまえ!」

音楽の師匠(ピアニストで作曲家)であるアントン・ルービンシュタインに、初めて書いた交響曲を酷評されるチャイコフスキー。今やメロディーメーカーとして人気の作曲家ですが、音楽家になる最初は苦労が多かったようです。

音楽が職業として確立していなかった時代、経済的にまだ苦しい役人だったチャイコフスキーが、いくら師匠の勧めがあったとは言え、「サラリーマンやーめた!」と言って音楽の世界に転身する(しかも学生になる)のには、相当な決心があったと思います。それだけ音楽が捨て切れなかったのでしょうね。

後に彼は、アントンの弟のこれまたピアニストで作曲家のニコライ・ルービンシュタインの図らいで、モスクワ音楽院の講師として招かれましたが、音楽家として認められるには、師匠の勧めもあって、まだロシアではあまり作られていなかった交響曲を作曲する必要がありました。

交響曲第1番は、チャイコフスキーがペテルブルグ音楽院を卒業した翌年の1866年、26歳の時に作曲されましたが、世の中そんなに甘くないです。

恩師には酷評され、二度の改訂を経て全楽章の初演をしたのが1868年。その後楽譜の出版が決まったのは30代半ばになってから。ここでも彼は改訂をし、48歳の時にオーケストラパート譜が出版されますが、ミスが多くまた書き直し。今日演奏される最後のバージョンは、作曲から何と22年も経っていました。

既にこの時5曲の交響曲を完成しており、それでも最初の交響曲に取り組んだということは、いかにこの曲に愛着があったかを物語っていますよね。

まだまだ未熟なオーケストレーションのため、意味不明で演奏家泣かせの部分もありますが、全体としては曲の副題にふさわしい冬のロシアの大地を想わせる、魅力のある曲となっています。

第1楽章 アレグロ・トランクイロ <冬の旅の幻想>

弦のトレモロに乗ってフルートとファゴットによって奏されるロシア風の第1主題は、民謡からインスピレーションを得たチャイコフスキーのオリジナル。凍てつくロシアの冬が目に浮かびます。演奏している我々も「寒い音」を追求します。

第2楽章 アダージョ・カンタービレ・マ・ノン・タント <陰気な土地・霧の土地>

オストロフスキーの劇「嵐」のための序曲を改作したものと言われています。サンクト・ペテルブルグ近くのラドガ湖の風景にインスピレーションを得たそうです。いかにもロシア風のメロディーが出てきます。弦楽器はミュート(弱音器)を付けて演奏します。霧の中のように聴こえるでしょうか。

第3楽章 スケルツォ

ピアノソナタ作品80の第3楽章の素材を用いています。この楽章だけは出来が良かったらしく、ニコライによって最初に初演されています。トリオの美しいワルツはお聞き逃しなく。

第4楽章 フィナーレ

序奏は南ロシア・カザン地方の民謡<咲け、小さな花>からのメロディー。1861年のカザンの学生運動において、農奴解放のシンボルのように歌われたと言われています。この楽章は鮮やかなオーケストレーションの習作で、チャイコフスキーらしさの片鱗がうかがえます。しかし演奏者にとっては中間部の対位法的な試みが最も合わせにくい箇所で、違う意味で「お寒い」演奏にならないようにと冷や汗をかいていると、再現部に入り最初の暗い情景から徐々に盛り上がっていきます。そして壮大なクライマックスは金管楽器が咆哮し、春を迎える喜びの爆発のようです!実はようやく最初の交響曲を完成させた喜びの表現だったのかもしれません。

チャイコフスキーの交響曲は、後半の4番・5番・6番がおなじみですが、この第1番はあまり演奏されません。冬に聴くこの交響曲の良さが少しでも皆さんに伝われば幸いです。

チラシ表
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