名古屋シンフォニア管弦楽団
Nagoya Sinfonia Orchestra
曲紹介
ジャン・シベリウス(1865-1957)作曲
<交響詩「フィンランディア」>
「ロシアの圧政に対するフィンランド、その輝かしい未来」をテーマとした祖国愛に満ちた作品です。金管楽器の力強い響きと対比して現れる静かな賛歌。その祈りがクライマックスでは高らかに奏でられ、平和な世を願う気持ちが溢れます。
<カレリア組曲>
フィンランド南東部のカレリア地方を題材とした劇付随音楽から派生した組曲です。親しみやすいメロディーの「間奏曲」、吟遊詩人の歌を楽器で表現した「バラード」、明るく躍動とした「行進曲風に」という3つの魅力的な小品で構成されています。
<交響曲 第2番>
1902年、シベリウスが36歳で完成させたこの作品は彼の交響曲の中でも特に人気があります。穏やかな響きで始まる第1楽章、内面を象徴するような第2楽章、そして「動」と「静」の第3楽章の後、感動的に終楽章を迎えます。不安を乗り越え壮大なフィナーレに至るこの曲を、私たちも今、皆で音楽ができる喜びをかみしめながら演奏いたします。新田先生の深い解釈によるシベリウスの世界をどうぞお楽しみください。
指揮 新田 ユリ にった ゆり
1990年ブザンソン国際青年指揮者コンクールファイナリスト。1991年東京国際音楽コンクール〈指揮〉第二位受賞。東京都交響楽団にてデビュー後国内主要オーケストラへ客演。2000年10月から1年間、文化庁派遣芸術家在外研修員としてフィンランド・ラハティ交響楽団にて、当時の音楽監督オスモ・ヴァンスカのもと研鑽を積む。以後日本とフィンランドを拠点として活動を続ける。2005年フィンランド・リムステッド交響楽団、クオピオ交響楽団、ミッケリ市管弦楽団、ヨエンスー市交響楽団、クリスチャンサン交響楽団、南デンマークフィル、フィンランド工兵隊吹奏楽団、フィンランド海軍吹奏楽団、ラ・テンペスタ等に客演。また2005年〜2007年オリウヴェシ音楽祭、2006年、2013年リエクサ・ブラスウィークに出演。2015年から常任指揮者を務める愛知室内オーケストラとともに2019年春フィンランドの歴史ある音楽祭、リエクサ・ブラスウィークに招聘を受けフィンランド公演を成功させた。
これまでに尾高忠明、小澤征爾、秋山和慶、小松一彦、オスモ・ヴァンスカの各氏に師事。またシプリアン・カツァリス、マキシム・ヴェンゲーロフ、ヨウコ・ハルヤンネ、オイスタン・バースヴィーク等世界的大ソリストとも共演。
現在、愛知室内オーケストラ常任指揮者、日本シベリウス協会第3代会長。国立音楽大学、相愛大学非常勤講師。アイノラ交響楽団主宰等。著書に「カレワラと音楽」(五月書房新社)。
名古屋シンフォニア管弦楽団について
1982年に愛知県内のアマチュア音楽家有志によって結成され、年2回の定期演奏会を続け、2017年に35周年の節目の年を迎えました。名古屋を拠点とするアマチュアオーケストラとしては老舗の部類に入り、2003年には愛知県芸術文化賞を受賞しました。結成当時のメンバーをはじめ、東海地区の学生や新社会人、転勤で名古屋にやって来た会社員や家族も加わり、現在では年齢も職業も様々なメンバーが集う楽団となりました。
定期演奏会では、隠れた名曲や難曲にも積極的に挑戦する特色ある選曲を心がけ、練習では指揮者をはじめ経験豊富なプロの先生方からの熱心な指導の下、楽しくかつ真摯に音楽に取り組んでいます。私たちが演奏を楽しむだけでなく、お客様にも一緒に楽しんでいただけるような演奏会を目指して活動しています。
シベリウス:交響詩「フィンランディア」作品26
この作品が生まれた背景には、「カレリア組曲」と同様に劇付随音楽の存在があった。上記の社会の変化の中で、1891年に発せられた出版物に関するロシア総督への権限一任の勅令は、フィンランド社会を大きく動かした。有力紙「パイヴァレヒティ」も一時休刊の事態となった。これに伴い報道に関わる人の年金基金設立を目的とした集会を「報道記念日」として11月3日から5日に開催した。カレリアの時と同様に、この集会の真の目的は言語弾圧への反対集会だった。しかしこの頃までにロシア人フィンランド総督も交代し厳しいロシアの監視の目を潜り抜けて行う必要があった。イベントの資金は宝くじを発行することで賄われ、ここでは芸術的なイベントのみならず、スポーツや絵画の競売なども行われた。中でも11月4日にヘルシンキの中心地にあるスウェーデン劇場にて行われた「歴史的情景」という大掛かりな舞台劇がその後のフィンランドにとっても大切なものとなった。
この舞台劇では時代を辿りフィンランドの歴史的事実、出来事が上演された。カレワラに登場する「詩で世界を治めるヴァイナミョイネン」、フィンランド人の改宗を表わした「フィンランド人の洗礼」、16世紀トゥルク城を舞台とした「ヨハン公の宮廷」、17世紀前半の「30年戦争の時代」、ロシア軍との戦いがあった18世紀初頭「大いなる怒りの時代」、最後に19世紀フィンランドの現状の「フィンランドは目覚める」と6つの場面が演じられた。この最後の場面で現在の「フィンランディア」の原曲が作曲された。各場面は詩人によりテキストが作られ、それに則り演じられた。最終場は蒸気機関車を運転する労働者の姿が、新たな希望の時代の象徴として描かれている。
この祝祭劇の中の「フィンランドは目覚める」と題された作品の中では、現在言われているフィンランドの独立への気運というものの表現ではなく、工業化により変わりゆく祖国の様子が意図されていたとみられる。そしてこの作品は2度にわたり改訂されている。付随音楽としての作品では、曲の最後の部分に現在ある賛歌部分のコラールの断片は出てこない。そして初めに改訂されたときには、賛歌コラール部分が終結部に高らかに歌われている。最終稿つまり現行のフィンランディアではこの長い終結部は削除され、短くコラールの一節が奏でられ終止となっている。
ところでこの「フィンランディア」という名前は後日シベリウスを支えることになるパトロンのアドヴァイスがあった。アクセル・カルペラン男爵は、この命名へのアドヴァイスを1900年夏のパリ万博にヘルシンキの楽団が参加するための支援も含めてシベリウスのもとに「X」という匿名で送っている。パリ万博にむけて、世界に発信する「序曲」を作曲するべきであり、その名前は「フィンランディア」がふさわしいという提案だった。シベリウスは「フィンランドは目覚める」の音楽を独立した音詩として完成させ、パリ万博への遠征公演でも披露した。もっともヘルシンキではロシアの検閲を逃れるために、「スオミ」というフィンランド語によるフィンランドを意味する言葉に変更され、遠征先においては、「祖国」という名前で発表されていた。政治的な配慮が常に付きまとい、このフィンランディアは世の中に広まっていった。
(新田ユリ)
シベリウス:カレリア組曲 作品11
この原曲が生まれたのは1893年、ヤルノフェルト令嬢アイノと結婚し、“クッレルヴォ”の発表により「ここにフィンランドが誇る若き作曲家あり」と認められた直後だった。原曲は活人画というスタイルで上演された劇付随音楽。直訳すると「ヴィープリの教育を支援する祭典と宝くじのための情景音楽」。1893年11月13日にヘルシンキ大学のヴィープリ学生会が企画開催した。ヴィープリというのはロシアとの国境にある州で、その首都がヴィープリだった。1917年の独立当時にはフィンランド第2の都市の規模を持っていたがその後の大戦、またフィンランドとソ連の継続戦争を経てほとんどをソ連に占領され、第二次大戦終わりには、ヴィープリを含むカレリア地方の半分の街の名前もソ連により改名された。
時間を1890年代初めに戻そう。当時フィンランドは、スウェーデンからフィンランド領を1809年に勝ち取ったロシアにより、その自治大公国として穏やかな形の支配下にあった。その態勢に変化がみられるのが1898年。ニコライ・ボブリコフがフィンランド総督に任命されてからである。1899年2月15日に発令された「二月宣言」にむけて、ボブリコフは着々とロシア側の主張を強めていった。フィンランド語、スウェーデン語に加えロシア語も公用語に、軍隊はロシア軍の指揮下に、新聞発行への検閲強化等々国民生活に大きく影響をもたらす内容が次々に発表された。ボブリコフ以前のフョードル・ゲイデン総督下においてはロシアの最後の皇帝、若きニコライ二世との関係も含めて穏やかな状態を保っていた。18世紀までのスウェーデン統治下よりも、フィンランドの文化や言語に寛容で“カレワラ”をはじめフィンランド独自の文学の発展がみられたのも、この時期だった。とはいえ変化の兆しは徐々に訪れていて、この集会も「教育援助」の名目だったが実際は「国民主義者の集会」だった。
活人画は8つの場面に分かれ、カレリア地方の長い歴史が上演された。この作品に序曲と各場面の間奏曲、また劇中音楽をシベリウスは作曲している。上演の十日後にはこの音楽から序曲と3曲を選曲し出版された。その3曲が「カレリア組曲」となっている。
1曲目「間奏曲 Intermezzo」は、劇中の第3部と第4部の間の音楽。14世紀から15世紀の時代に場面が移る転換の時間の間奏曲となっている。2曲目「バラード Ballade」はスウェーデンのカール八世がヴィープリ城に佇む様子が歌われたスウェーデンの古い民謡集が原曲。1446年頃のヴィープリの場面である。オリジナルスコアではシベリウスは声楽に言及していないが、初演時にはバリトンで歌われた。バリトンとホルンによりこの曲の最後の旋律が3回繰り返して歌われる。組曲版ではコール・アングレに編曲された。3曲目は単独でもよく演奏される「行進曲風に Alla marcia」。この曲は第5部の半ばで間奏曲として演奏されていた。納税の場面でも使用された音楽となっている。楽し気な旋律のイメージが少し変わってしまうだろうか…。
(新田ユリ)
シベリウス:交響曲第2番 作品43
1900年のパリ万博に向かったシベリウスは、その直前に大きな悲しみに見舞われていた。1900年2月、三女キスティがわずか1歳数か月の命で天に召された。チフスだった。この衝撃はシベリウス夫妻に大きな影を落とした。パリ万博前に交響曲第1番を完成させ、遠征先でも指揮を続けていたが、帰国してからも悲しみに包まれていたシベリウス一家は、先のカルペラン男爵の勧めもあり、南欧に向かった。まだ冬の時期ながらイタリアのラパッロを目指した。
そこは海辺の保養地として知られるところだった。しかし滞在地の気候風土が合わず、アイノ夫人もあまり良い印象をもっていなかったことが当時の手紙に認められている。そして旅先で次女ルートが高熱を出した。三女を失ったばかりのアイノ夫人は半狂乱になったという。幸い大事には至らなかったが、なんとシベリウスはそんな家族の様子に耐えられず、置手紙を残し一人ローマに旅立った。夫の性格をよく知る夫人は、作曲に静寂が必要であることを理解していたという。イタリアで交響曲第2番が完成することはなかった。帰国すると、アイノ夫人の姉エッレが鉄道に身を投げて命を絶った。シベリウス夫妻を訪ねる道中のことで夫妻に強い衝撃を与えた。
1900年代初頭に生まれた「フィンランディア」「交響曲第1番」は、いずれもフィンランド国内だけではなく、国外に対してシベリウスの名前を知らしめるものだった。35歳という青年ながらフィンランドを代表する作曲家というレッテルが貼られつつあった。そのような状態から2曲目の交響曲を作曲することに、生来の繊細な神経、自己への厳しさが密かに(彼を)苦しめていた。進まぬ筆の中、フィンランドに於いてもシベリウスは、イタリアのラパッロと同様「水辺」の近くで仕事をすることを求めていた。自宅のあるケラヴァではなく、湖傍にあるロホヤに滞在していた。この「水」の存在が交響曲第2番の冒頭に反映されている。
第1楽章の冒頭は、聴く耳には心地よく演奏者には難しい。小節の初めから音が始まっていない。大きく始まりの音の拍を動かしたのは、初稿を改訂した時。楽譜の保管先の実家の火事により、自筆稿は部分的に消失している状態だが、手稿譜の冒頭は小節の初めから弦楽器による四分音符の音が休符を含め6拍含んでいる。この移動に伴いシベリウスが意図した律動は、具体的に波のイメージを強めた。交響曲第1番同様チューバを含む大きな編成の第2番。チャイコフスキーの後期交響曲の影響を受けていると言われているが、しかしその音の手法はシベリウス自身の後期交響曲の顔が覗き始めている。シベリウスの特徴として「旋律がわかりにくい」というのがある。明確に一節歌いきれる旋律が少ない。その点がチャイコフスキーとは大きく異なる。そして各楽器がその旋律のバトンを渡すように流れてゆき、全体が構成されている。唐突な中断や休止が多い第1楽章と第2楽章。
特に第2楽章に聞こえる金管楽器による悲痛なコラール、そこにはDies irae(怒りの日)の旋律がちりばめられている。対して98小節目に長い休止の後に現れる弦楽器による祈りの旋律。これが♯6つを要する嬰へ長調。十字架を表わす調性で書かれている。この二つの要素にはシベリウスが体験した悲しみが色濃く反映されている。
疾風怒濤の第3楽章には、やはり対比となる穏やかな部分が挟まれている。静かな水辺の清らかな水面の動きに抱かれたオーボエによる素朴な語り掛けは、第4楽章の勇壮な旋律へと発展してゆく。第4楽章に二度現れる鬱々とした反復する旋律と伴奏。一度目は35回繰り返すヴィオラとチェロの同じ短調の伴奏音型が続き36回目に長調へ変化、そして37回目に明るい光へと到達する。二度目は同じ音型が楽器を渡り歩きながら73回繰り返される。そして同様に74回目で長調へと移行し75回目でこの交響曲の主調であるニ長調へと確信をもって進む。ニ長調は祝いの調。共感覚を持つシベリウスにとっては「黄色」の調。
シベリウスはこの作品に対して、「これは自己の魂の告白だ」と後年語っている。発表された当時は先のフィンランドの情勢もあり、ロシアの圧政に対してフィンランド国民を鼓舞する音楽の役割を持たされた。紙面の演奏評にそのように書かれてからは、その言葉が独り歩きしていた。「内なる声 Voces Intimae」という弦楽四重奏が生まれるのはこの少し後だが、内省的な作曲家が描いたこの劇的な交響曲が魂の告白だとすると、当時の心情が余計に胸に迫ってくる。
(新田ユリ)
~劇的な日々の中で~ 新田 ユリ
本日演奏される3曲は「カレリア組曲」「フィンランディア」「交響曲第2番」の順に作曲された。 そこに流れた時間は、フィンランドにとってもシベリウス自身にとっても物事が大きく動いた時代だった。
(各曲の解説文へ続く)

