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第79回定期演奏会

2021年7月25日

愛知県芸術劇場コンサートホール

愛知県 名古屋市東区

ベートーベン 交響曲第5番
伊福部 昭 シンフォニア・タプカーラ
ブラームス 悲劇的序曲
指揮:中村 暢宏

<曲紹介>
■ブラームス作曲:悲劇的序曲
「悲劇的」と銘打たれたこの楽曲、さぞ暗くて悲しい曲かと思いきや、ブラームスらしい情熱に満ちています。抑えきれない心の動き、逡巡(しゅんじゅん)の中にも、ふと天国のような瞬間が訪れるドラマチックな作品です。
■伊福部 昭作曲:シンフォニア・タプカーラ
日本の純音楽作家である伊福部昭が1954年に作曲した唯一のシンフォニー。彼が同じ頃に手がけた特撮映画「ゴジラ」の音楽はご存知の方も多いでしょう。「タプカーラ」とはアイヌの言葉で「踊ること」。北海道で生まれ育ち、アイヌの人々と触れ合い、自分の感性に忠実に、ブレることなく作曲を続けた彼が残した、躍動感あふれる傑作です。
■ベートーヴェン作曲:交響曲 第5番
日本では「運命」と呼ばれ、誰もが知っている名曲です。冒頭の有名なリズムによる緊張感、勢いのある展開、瞑想的な緩徐楽章、全曲を貫く見事な構想。それらを経た終楽章での音の広がりは、解放、勝利、それとも歓喜の爆発でしょうか? ベートーヴェン37歳での作品です。音楽室で見た強面のイメージから離れて、自由な感性でお楽しみください。

指揮 中村 暢宏 なかむら のぶひろ

96年愛知県立芸術大学卒業。指揮法を田久保裕一、A.ポリシュク、V.シナイスキーの各氏等に師事、ヴァイオリンを瀬戸瑤子、ヴィオラを兎束俊之、B.パスキエ、G.トイフェルの各氏等に師事する。
94年日本室内楽アカデミー奨励賞、96年第3回川崎音楽賞コンクール第3位などを受賞。96年にドイツ・シュトゥットガルトへ留学し研鑽を積む。帰国後は東京フィル、名古屋フィル、群馬交響、セントラル愛知管など各地のオーケストラに客員奏者または客演首席奏者として活動。
指揮者として、セントラル愛知交響楽団、愛知室内オーケストラ、松本室内合奏団、富山シティフィル、浜松室内管など数多くの団体で客演。07年サンクトペテルブルグ国際指揮者マスタークラス参加。サンクトペテルブルグ国立交響楽団をベロゼルスキー宮殿にて指揮。12年ブルガリア国立プロヴディフ・フィルハーモニー交響楽団定期公演に客演し、紙面・放送で話題となった。13年にはウィーン楽友協会においてベートーヴェン:ミサ・ソレムニスを指揮。18年に再び登壇し、マーラー:交響曲第1番、ウィーン初演となる伊福部昭:シンフォニア・タプカーラを指揮。満席のムジークフェラインにおいて万雷の喝采を浴びた。
これまでに一宮市消防音楽隊常任指揮者などを歴任。現在、名古屋市民吹奏楽団常任指揮者、プランタン管弦楽団常任指揮者、名古屋アマデウス室内管弦楽団音楽監督、椙山フィルハーモニーオーケストラ指揮者、椙山女学園大学シンフォニーオーケストラ指揮者など数多くを務める。

名古屋シンフォニア管弦楽団
1982年に愛知県内のアマチュア音楽家有志によって結成され、年2回の定期演奏会を続け、2017年に35周年の節目を迎えました。名古屋を拠点とするアマチュアオーケストラとしては老舗の部類に入り、2003年には愛知県芸術文化賞を受賞しました。結成当時のメンバーをはじめ、東海地区の学生や新社会人、転勤で名古屋にやって来た会社員や家族も加わり、現在では年齢も職業も様々なメンバーが集う楽団となりました。
定期演奏会では、隠れた名曲や難曲にも積極的に挑戦する特色ある選曲を心がけ、練習では指揮者をはじめ経験豊富なプロの先生方からの熱心な指導の下、楽しくかつ真摯に音楽に取り組んでいます。私たちが演奏を楽しむだけでなく、お客様にも一緒に楽しんでいただけるような演奏会を目指して活動しています。

ブラームス:悲劇的序曲

こんにちは♪ さあ本日最初にお届けするのは、ブラームスの「悲劇的序曲」です。「悲劇的」ってすごいネーミングですよね… 題名聞いただけで重苦しい、滅入りそう、帰るか… あ! 帰らないでくださいね! これがいい曲なんですよ〜。

ブラームスは同じ時期(1880年)に、演奏会用序曲を2曲書きました。もう1曲は「大学祝典序曲」です。1879年に現在のポーランドにあるブレスラウ大学から名誉博士号を贈られた返礼として書き上げました。金管の清らかなファンファーレ、4種類のドイツの学生歌を引用して大いに盛り上げ、最後にはシンバルやトライアングルも大活躍の華々しい(ブラームスには珍しく)1曲となっています。機会があればこちらもぜひどうぞ。

さて、この陽気な「笑う序曲」の対になる「泣く序曲」として書かれたのが、「悲劇的序曲」です。作曲の発端や経緯は不明ですが、ブラームスは以下のような手紙を残しています。

「ある機会のために、愉快な大学祝典序曲を書かなければなりませんでした。その際の私のメランコリーな気質はもう一つの劇のための序曲を書くという償いをせざるを得ませんでした。」

ブラームスにとって、この1880年前後は、親しい友人や、シューマン家の末っ子(ブラームスが名付け親であった)が相次いで亡くなり、死の影が付きまとっていたとも言われています。依頼されて華やかで明るい大学祝典を書くことになったが、本当に自分が書きたかったのはこういう音楽なんだという気持ちが凝縮されているようです。

そもそも内向的で、偏屈なブラームスですからね。文字通り、よほど作曲し甲斐があったであろうことは想像に難くありません。そのためかどうか、この「悲劇的」は非常にブラームスらしさが凝縮され、交響曲と並べても引けを取らない傑作となっています。

厳格なソナタ形式、ニ短調(ニ短調は古くからレクイエムのような宗教的あるいは死を象徴する調として用いられてきました)冒頭強烈な2つの和音から始まり、終始この2つの和音が曲全体を支配します。この和音が、分散され展開されリズムを変えて次々と現れます。途中、おだやかな美しいメロディが奏でられますが、徐々に符点により厳しさを増し、展開部、再現部へと続きます。そのまま同じように終わると見せて、コーダからは主題の和音が炸裂し、劇的なクライマックスへ一気に登り詰めて終わります。

伊福部 昭:シンフォニア・タプカーラ(1979年改訂版)

日本を代表する作曲家で今もファンが多い伊福部昭(1914〜2006)は、北海道釧路で生まれ、少年時代を過ごした音更村で接したアイヌの人々の生活や文化から大きな影響を受けました。北海道帝国大学農学部卒業、作曲はほぼ独学、東京音楽学校(現・東京藝術大学音楽学部)で芥川也寸志、黛敏郎など多くの作曲家を育成、その後「ゴジラ」や「ビルマの竪琴」など映画音楽も多く手掛ける…といった数々の興味深い経歴の持ち主です。   

「シンフォニア・タプカーラ」は、全三楽章の交響曲形式で書かれ、三浦淳史氏(現・評論家)に捧げられています。ホーミーを思わせる低音を持った節や、反復(オスティナート)へのこだわりを特徴とし、魂を揺さぶられるようなエネルギーに溢れています。   

今回指揮をしていただく中村先生は伊福部作品に精通され、毎回、熱く激しくエネルギッシュなリハーサルをしていただきました。世界で伊福部作品を紹介されている中村先生の解説をここに掲載させていただきます!   

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伊福部はこのシンフォニア・タプカーラを作曲するにあたり、アイヌ舞踊の一形式である“タプカーラ”から着想されているとはいえ、アイヌ音楽のメロディーは引用をしていないという。しかし、この楽曲に携わる機会が増えるほど、この言葉はどこかで歪曲されていると感じる。   

確かに、全楽章を通してメロディーは作曲家自身の創作であり、アイヌの歌や踊りで聞こえてくるそれは西洋音楽の技法に近いことはない。アイヌのメロディー(歌う場合)は、細かすぎるほどの音程の変化を与えていく部分をさておき、音階的には半音のない5音音階である。5音全音をそろえるメロディーよりは3音、4音でできているものが多い。この音階による創作メロディーは実は全楽章に特徴的に採用されており、1、2楽章においてはテンポの緩んだ中で聞くことができる。   

アイヌ音楽に、詩と踊りと音楽が混然一体化した原始的な一種の「バラード」という特徴を持つという作曲家本人の分析からも頷ける。3楽章に現れる、まさに興が乗り興奮と絶叫、そして地面を打ち鳴らすクライマックスにも、その音階を余韻として感じることができるのである。この音階は、アイヌのトンコリという竪琴、女性が男性に向けて川岸で奏でるムックリの演奏を聞けば、3音のオスティナート(執拗に繰り返される)こそがアイヌ音楽の原型と読み取れ、まさにシンフォニア・タプカーラに生きている。   

そして、タプカーラという言葉だが、アイヌの踊りの一つである。踊りには、飛び跳ねるという意味のホリッパ、遊ぶという意味のヘチリ、中でもアイヌの代表は、湯が沸く様に騒がしくというような意味で早口に唄われることもあるウポポがあげられる。そして、日本人(ここでは敢えて和人と呼ぶか)の伝統的踊りと歌の融合に近いものが、輪舞のリムセと呼ばれる。そしてタプカーラという踊りは男性の立ち踊りで、両手を前に差しのべ腰を落として両肢を踏み鳴らしながら舞うのであるが、儀式の時に行う最も重要な踊りである。この際、シントコと呼ばれる酒樽の蓋を叩くか、手拍子によって踊りのテンポをコントロールする。これらによるリズムや描写も非常に1、3楽章では多用されており、手でトムを鳴らす、藁で叩きこするイメージを、ブラシを使ったティンパニで表現することなどで聞くことができる。   

阪神地震速報の旋律を生んだ、作曲家の甥である伊福部達氏の言葉を借りれば、「アイヌ文化の伝承はすべて口伝であり、選ばれた巫女が専門職として『語り部』を務めた。文字を持たない代わりに、音楽的には非常に豊かな文化を持ち、労働歌、叙事詩、子守唄、舞曲など、生活のあらゆる局面で歌や踊りが存在した」とある。このことから、メロディーを書き留める習慣のないアイヌ文化の中で、伝わる人間が風土の影響を受けながらメロディーを創作していくというアイヌに触れてきた伊福部昭の姿こそ、次世代への伝承者の一人であると言っても過言ではない。   

「タプカーラとは、彼等の言葉で『立って踊る』というような意をもち、興がのると、喜びは勿論、悲しい時でも、その心情の赴くまま、即興の詩を歌い延々と踊るのでした。」としている。   

中村 暢宏   

ベートーヴェン:交響曲第5番 作品67

筆者に原稿を依頼してきたのはシーズンが始まる前、当時の編集長からであった。彼女はその小さめの体からは不釣り合いなオーラを発する目で見据えながら「メインの曲目解説の原稿、お願い。」とのたもうのである。「あの、あまりにも、あまりにも有名な、誰でも知っているクラシック曲の解説?自分に書けと?」弱々しい抗議は無視され、新任の若手美人編集長から正式依頼があった時点で白旗を上げざるを得なかった。美人からのお願いを無にして断るには慣れていないのである。

であるが、このあまりにも、あまりにも有名な曲、解説は出し尽くされていると言ってよい。曰く、題名の「運命」は交響曲第6番「田園」とは違い作曲家の意図に入っていない。曰く、初演は第6番と同じ演奏会で行われた。曰く、マリリン・モンローがレコードを擦り切れるまで聴いていた。などなど。博識の読者諸氏は耳にタコができるほど聞いているに違いない。そこで本稿ではアマチュア演奏家の立場で、いかにこの曲の演奏が困難か、それを克服することがいかに重要かを、スコアを追いながら独断と偏見に基づき、ハードルを下げるべく持論を展開することとする。よろしいですね、編集長。


第1楽章(Allegro con brio)

冒頭のffの4つの音、運命の動機とも言われるが、アマオケの練習開始時点の合奏ではまず合わない。ここをうまく聴かせられるかどうかで、この曲全体の出来が決まってしまう。最初の8分休符のテンションを全員で合わせることが必要で、加えてプロの棒でないとカッコよく聞こえないのである。責任転嫁ではない。そのあとはこの動機が次から次へと出てくるいわゆるフーガ構造になっている。これが難敵でどこかのパートがばらけたとたん続く奏者に迷いが生じる。途中から乗っかる筆者などひやひやもので、しかも1小節でpからfまでクレッシェンドが要求される。こんな調子でおよそ500小節、楽章の最後まで続く。勘弁してほしい。

第2楽章(Andante con moto)

ヴィオラとチェロのユニゾンのゆったりしたメロディで始まる。ヴィオラを弾く同居人は「チェロだけじゃないのよ!」と筆者の不明をなじるのであるが、チェロパートが目の前にいて、音程の良さも悪さもよく聞こえるのだ、しかたあるまい。これら弦楽器と対比しながら木管や金管のコラールを美しく響かせていくことが要求される、我々も難しいのだ。終盤にはファゴットのソロがあるが、その直後オーボエの装飾音符を軽やかに乗っける譜面がある。転ばないよう注意である。

第3楽章(Allegro)

速い3拍子で、休符をはめ込んでいくのが難しい曲である。特に115小節からの3拍目をpで入れていく木管の作業がずれやすく、アマオケでは崩壊の危険をはらむ。その後短調から長調に変わりフーガが始まるが、かなり細かい音を正確に並べなければならない。管楽器のタンギングが間に合わない場所でもある。楽章のコーダは弦楽器のピチカートが旋律を奏で、その後ティンパニのソロという変わったつくりで、まるで現代音楽である。長い音がだんだん積み重なり(しかしpを維持!)最後のクレッシェンドで一気に4楽章に突入する。

第4楽章(Allegro)

ここに至り、曲はハ長調の堂々としたファンファーレにより、神々しい光が射し込む感動的な光景が広がるのだ。その後は小気味よく走っていくのだが、ヴィオラには地獄のような刻みが続き(細かい同じ音が延々と並ぶ)、同居人は腕が痛くなるとぶつぶつ文句を言う。実際叩く音符が非常に多く、スピード感のあるテンポを維持し急速に変わるダイナミクスを、作曲家の指定通り演奏する(少なくともその努力をする)ことは体力を大きく消耗する。早く終わってほしいのだが、コーダに至っても、これでもかと繰り返される。しかし挫折することは許されず(あたりまえだ!)最後の1音を集中して演奏したあとはみな放心状態になるのである。

長々と埋め草を羅列したが、読者諸氏の開演前の暇つぶし一助ぐらいにはなったであろう。しかし、本稿の重要な目的である「ハードルを下げる」ことに貢献していないような気がするのは、筆者だけであろうか。

チラシ表
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